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2月は逃げる


冬山に置いてきぼりにされるている、
そんな気持ちになる寒さだった。

家の中が寒すぎる。

昨年が暖かったのか、
今年が寒すぎるのか。

好きになりつつあった家の中が
本気で対策しなければ
おばあちゃんになったら
住めないかもと
危機感を覚える。


廊下から見える地面も
丸見えの天井の枠組みも

通気性でこの家を
維持してきたとしても
寒さの根源と思うと
悩ましかった。


本当は自宅を
改装したかったのに。


のに。


そうはいかなくなっていた。

昨年から
浮上した計画があった。


長年医院として使われてきた
古い洋館で
指定文化財でもある建物が
敷地内にある。


元々は
夫のおじいちゃんが昭和初期に建てた
この建物は
今年で築91年だ。


昨年の5月にとうとう
廃院となり
医院としての役目を終えた。


ここで目をキラキラして
喜んだ夫がいた。

憧れのおじいちゃんが建てた 
この建物を子供の頃から愛して

将来この建物で
自分の何かしらのお店を
オープンすることを
長年夢見てきた。


その序章のように
隣の貸家も
レストランの宿泊施設として
プロデュースして


いよいよ本打ちとばかりに
気持ち的にはノリに乗っていた。


コロナ禍の事業転換の
補助金があることも後押しになって

早々に設計事務所ととも
打合せをして
トントン拍子に
進んでいくように見えた。


けれど、
昨年の秋、

一つの歯車が止まり
その歯車が隣の歯車も止めていくような
そんな事態が起きていった。


そんなはずはとアクセルを踏んでも

空回りしていく。


そんなウサギの穴に落ちていた
状況を経て



寒さの中で
取り残されているような
気持ちになりながら


この事態は
何の気づきをもたらしているのかを
じっと考えていた。


いくつかの歯車が止まったことで

それ以前の
私たちのテンションが
かなり上がっていたことを
改めて自覚した。


それはそうだ。

古い建物が
新しい息吹とともに
再生して

かつての賑やかさを
取り戻すかのように


遠くから知らない人たちまで
楽しげに訪れる様子を
思い浮かべるだけで


新しいことが始まる期待に
胸が膨らむ。



大きく膨らんだ風船が
はじけたように
思えたとき

カラフルな写真が
一瞬でセピア色に戻っていく

そんな感覚になっていた。


でもその時期を過ぎて
思うことは


そこにあるものは
何も変わっていなかった。


大きな振り子は
大きく戻る。

小さな振り子は
小さく戻る。


自身をどこに置くのかを
試された気がした。


ここに在る、
こと自体は変わらず

関わる人たち以前に

私たちにできることは
ささいなことだった。


それなのに
建物やこの土地を
より大きくみせようと
していたのではないか。


自分のあり様を変えて
背伸びをしていたのではないか

そんなことを感じた。


いま一度、
ここに在ることの意味と


私たちが
ありのままで
できるところに
戻ってきた。


「いろんな人が
   集う場所にしたい」


本当はそんなシンプルな
願いだった。


そこに戻った時に

「中庸」

という言葉が浮かんだ。


遠い昔、倫理社会で
習った言葉だ。


「中庸」
かたよることなく、常に変わらないこと。
過不足なく調和がとれていること


言葉で捉えるほど
平たい意味ではないと思う。



この2年、
世の中がすごいスピードで
変化した。


今までと同じ形態の
働き方では
いろいろな業種の仕事が
成り立たなくなっていた。


近所のタクシーは
お正月の人手がないと
三が日を休業していた。


多くの飲食店が
お正月休みを1週間前後
とっていた。


働く人が
働き方を選ぶ時代に
なっていた。



そういう状況を
俯瞰した上で
これからのこの場所で


私たちがしたいこと

私たちにできること



その振り幅を


中庸によせていく作業が
必要だった。



それは考え方だけでなく


感情にも通じるのだと思える
出来事もあった。



感情とは
抑えきれないもののように
思っていた。



でも草取りやヨガを通して
自分の感情を
そっと横に置く様な感覚を
覚えてくると


少しずつ
感情に引っ張られない
「軸」
というものが


実は心体には
ちゃんと備わっている
気がしている。


その軸を意識することは


中庸の在り方に
通じているような
気がしている。



瞬間的に

イライラしたり
悲しくなったり
腹が立つことは


いくつもある。



でも、横に置く。

そして見る。


起きたことのどの部分が
感情のスイッチを
押したのか。


そこに気がつくと
怒りやイラつきの感情が
広がりにくいのである。


思うようにいかないことは
たくさんある。


ましてや相手が人ならば
なおさらだ。


でも一人一人の背景を
知れば、
知る努力をすれば


少なくとも
一方的に
腹を立てることばかりでは
ないと思う。


少しだけ横に置いてみる
その間が

自分を中庸に戻してくれる。


そんなことを
寒さに震えながら

少しずつ考えていた。


逃げるようにすぎた2月に


凍ったように見える
地面の下の草の芽も


固く閉ざした梅の蕾も


全く進まないどころか
後退して行くように見えた
この計画も


気づかないスピードで
ゆっくりと
じっくりと

発酵の過程のように
少しづつ膨らみ始めていた。



ふてくされてもいい。

逃げてもいい。

籠ってもいい。



次へ次へと見ないふりをして
先に進むより


今起きていることを
じっくりと眺める時間は、

きっと
大事なステップになる。



あたたかな日差しを
ありがたく感じながら


ようやくこの洋館の
在り方の輪郭が


見えてきた気がしていた。

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