宅八郎に救われた夜 追悼:宅八郎

Twitterのタイムラインに宅八郎氏が亡くなったと上がってきた。これは実は生きていて「宅八郎死亡説が流れた」なんてことになるネットの祭りなのかなと思った。しかし複数の人が同じ内容をツイートしているところを見ると、どうやら本当のようだ。

宅八郎は1990年に「オタク評論家」と言う肩書きでテレビに出始めた。1989年に幼女連続誘拐殺人事件があり「オタク」という呼称は蔑称の意味合いを強く含んでいる中での登場だった。

宅八郎を知ったのは私が中学生の頃だった。「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」で見たのが初めてで、森高千里?のフィギュアを片手に気味の悪い顔でテレビの中を暴れまわっていた。先に書いたような時代背景もあり、性格がおとなしく(暗く)てメガネの男子は例外なく「オタク」にカテゴライズされ「気持ちが悪い人」扱いをされるようなった(これは私だけではないはずだ!そうだよね?)。私は宅八郎と一緒にされることを嫌だと思った。私が見ても気持ち悪いと思っていたからだ。憎むというほど強く気持ちがあったわけではないにしても、彼のイメージを前提として「オタク」へカテゴライズされていることは本当に嫌だったから「あんなのが出てこなければなあ」と思ったことはあった。

それから十年ほどの年月が過ぎ、宅八郎は完全に過去の人になっていた。今から私がする話は2004年か2005年の話だ。代官山UNITでAlex SomkeというDJの来日公演があった。彼はFunk D'voidの"Way Up High"という曲をリミックスしており、私はそれがとても好きだったのだ。 一晩中あんなトラックが聞けるのかと思って張り切って行ったものの、なぜか気分が下がる一方だった。タイムテーブルを見るとAlex Smokeの出演は2:00からとなっていた。彼の出番までまだ当分ある。その時、同じ日に知人がパーティーをやっていることを思い出した。すっかり気分が落ち込んだ私はAlex Smokeの出番が来る前にUNITを出ることにした。出ていく時にスタッフに「再入場できませんよ」と言われたことを覚えている。

Alex Somkeを蹴ってまで行ったパーティーはどんなパーティーだったのか。その知人にどういうつながりがあったのかは知らないが、そこに宅八郎が出るというのだ。その日はそっちのほうが圧倒的に面白そうな予感がしていた。どうやってそのパーティーに行ったのかは覚えていないが、多分歩いていったのだろう。パーティーが開かれていた店は「Soft」といい、今は「Violetta」になっている場所だ。

階段を降りて店内に入る。お客さんはそれほど多くはなかった。暗い中でも宅八郎はすぐにわかった。あれだけテレビで見ていたのだから当たり前といえば当たり前だ。彼のDJを聞いて私は驚いた。アイドル歌謡をすべて打ち込みのダンスビートにリミックしてノンストップでプレイし続けていたのだ。思えば全て宅八郎のダブ・プレートだったのだろう。彼が音楽好きだというのは噂に聞いていたけれどもここまでだとは思わなかった。その日、一番DJらしいDJだったと思う。

私は彼に声をかけた。プレイの前か後かは覚えていない。「元気が出るテレビを見ていましたよ」というと彼は優しい笑顔と声で「あ、ありがとうございます」と言ってくれた。失礼ながら私は「テレビで見るのと全然違いますね」と言ってしまった。すると「あれはキャラですからね」と笑って答えてくれた。DJが面白かったことを伝え、握手もしてもらった。

かつてあれだけ複雑な気持ちを私に抱かせていた人は、実は自分よりもずっと深く音楽を追い続けて、その楽しさを存分に表現していた。そこには「気持ちの悪いオタク」はどこにもいなかった。ハードコアな音楽好きがいたというだけのことであった。

宅八郎に会った後のことは全く思い出せない。どれだけ呑んだのか、誰とどうやって帰ったのかもわからない。あの日の思い出となっているのは宅八郎に会うまでの部分だけで、宅八郎に会わなければ退屈なUNITのことなどすぐに忘れてしまっていただろう。

宅八郎さん、あなたのおかげで退屈で終わってしまいそうだったあの一夜が救われたのです。ありがとう。どうか安らかにおやすみください。

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