それでも沢尻エリカは正義である【アーカイブ記事】

※このエントリーはmixiに投稿した日記を再編したものです

當眞美喜男a.k.a羽賀研二が逮捕された時に、梅宮辰夫が「あいつはね、希代のワルですよ!」とコメントしていて、僕はそれを聞いて「希代のワルなんて言ったらなんかカッコいいじゃん、中学生はみんな憧れちゃうぜ」とか思ったものです。だって希代のワルですよ。リミックス誌で野田努氏が「チョイ悪ってセコイ、どうせなら激悪とか極悪を目指せ」と言っていましたが希代のワルってのも相当なものです。まれに見るワルですからね!

さて我らがエリカ様ですが一転して謝罪のコメントを出されました。(注:リンク切れ)

「諸悪の根源」です。あらゆる悪の根っこ。カッコいい!憧れちゃうぜ。これを見て「アタシも諸悪の根源になりたい!」と言う女の子はたくさんいるでしょう。と言うかいてほしい。しかしこれって謝罪と言うよりは挑戦状を叩き付けているようにしか思えないのです。どう読んでも「ハイハイ、謝りゃいいんでしょ」と言うのが見え見えで、非常に挑発的な内容でございます。まるでヘイポーの謝罪文じゃないか。「それ謝ってるんですか?」と西川先生の声が聞こえてきそうです。小馬鹿にされると思って、更に怒らなくてはいけません。

沢尻エリカを怒った人は、これを読んで許してしまうのだろうか。いや、許してはいけないでしょう。これで許してしまったら「あんたの『怒り』はそんなもんなの?」と言われ、エリカ様は多いに失望なさるでしょう。あなたの感情を、あなたの心の奥底を見せてみろと言わんばかりの謝罪文。エリカ様は人間の深淵を覗く試みをなさっているのではないでしょうか。

人が生きているかどうかを考える時に、「心の生き死に」がありますね。感動する事のない人はもはや死んだも同然である、と。マドンナがエミネムを評する時に、人々の頭に血を上らせ、怒りで血を熱くさせる、そうやって大衆の心を動かす事、それこそがエミネムのアート性であり、素晴らしさなのだと言った事があります。

今回沢尻エリカの取った一連の態度は正に人々の神経を逆なでし、怒りを覚えさせました。どんな形であれ、心が動いたと言う事はまだあなたが生きていると言う証明に他ならないのですよ。今回、沢尻エリカに怒る人は同時に感謝もしなくてはなりません。いや、本気でそう思います。

僕は沢尻エリカに、今後は更に徹底的に「諸悪の根源」で在り続けてほしいと本気で願っています。人々の心を乱し、混乱させ、時に怒りをもたらす。それが出来ているのは今のところパリス・ヒルトンくらいなものですが、是非ともその位置にまで来てほしい(ドラッグはやるべきじゃないと思うけど)。

我慢をするな。わがままを貫き通せ。やりたい事をやれ。人が何を言おうと、オマエの道を行け(勇気を持って)。そんな励ましを受けたようで、僕は一気に沢尻エリカのファンになりました。

(2007年 10月 02日)

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