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AJ・シュナック - Kurt Cobain About a son【アーカイブ記事】

見終わった直後の感想は「えっ、これで1800円とるの」でした。内容はカート・コベインのラストインタビューが、取留めの無い映像に乗って流れているだけ。映像にもメリハリが無いし、アート気取りのマスターベーションと言われても仕方が無いんじゃ...。

そうは言ってもインタビューの内容自体は結構興味深いものがありました。インタビューをしたのが1992年から1993年で、映画後半のコメントからは既にニルヴァーナに興味を失っている事やゴシップ誌に虚偽の記事を書かれ続けている事にすっかり疲弊している事がよく判ります。

印象的なのは、コートニー・ラブと娘のフランシスに対する愛情あふれた優しい言葉と同時に「俺の家族に手を出す奴はみんなぶっ潰してやる。俺はやるよ」「俺は復讐を認めるよ」と言う、攻撃的な言葉が次々と出てくる事。この危うさだけでも当時のカートがどれだけ混乱していたかが判るというものです。

ただ、やっぱりよく判らないのはこの時のカートのコメントは確かに混乱しているし声も弱々しいものなのだけど、間違いなくコートニーとの生活を楽しんでいたし、これから先の音楽業界に絶望を抱きながらも、カート自身は音楽を続けて行くんだという意思がはっきりと彼の口から語られており、だったら何故、あんな死に方をしたんだと思うのです。

僕は常々、カートはドラッグで死んだのだ、決してその純粋さからくる苦悩が自殺を選ばせたのではない、と思っていたのですがこれを見てから再びよく判らなくなりました。

そもそもこの映画を見るまでもなく、カートはインディーバンドのコミュニティにある様な「仲間と演奏できればそれでOK」と言うメンタリティーの持ち主ではありませんでした。やるならば商業的にも成功したいと言い切り、オリンピアで出会ったあまりにも純粋無垢なインディー精神に基づいたコミュニティーに対し、最初は楽しんだものの「退屈だった」と唾を吐いてシアトルに向かうのです。アバディーン、そしてオリンピアからの脱出はそうした一種の「安定」からの脱出でもあったと言うのが印象的でした。コートニーと付き合い始めた理由を「刺激が欲しかった」と言っているのがそれを象徴していると思います。

そうした前向きさと幸せさを感じさせながらも自殺をしてしまったカートについて、その謎解きはもう出来ないのだと強く思わされます。その謎に思いを巡らせ、やりきれない気持ちに耐えられない僕の様な人間は「判ったつもりで」ドラッグのせいにしたりするのでしょう。

一つだけ判るのはカートがいなくなっちゃった、と言うのはやっぱり残念だったと言う事です。"You know you're right"やボックスセット『With the Lights Out』に収録されていた晩年のデモ曲を聞くとこの才能に触れる事がもう出来ないと言う事は繰り返しますが、残念であるとしか言いようがありません。

最後に、カートに言いたいのは、貴方がいなくなってから10年以上経ちましたが、貴方が悲観していたほどにこの世にあふれている音楽は酷くなってない。人は今でもライブハウスに「リアルな」体験を求めて足を運ぶし、若者も音楽に興味がないなんて事もない。良い音楽もたくさん出来ています。

(2007.8.24)

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