2018/03/13【アーカイブ記事】

初出:Tumblr, 2018

2011年に反原発のサウンドデモに参加した。確か秋だったと思う。サウンドカーにいるDJが須永辰雄さん、彼のプレイする曲に合わせてラップと言うかシュプレヒコールをしていたのがECDさんだった。

ECDさんについてはその名は知っていても、彼がどう言う音楽をやり、どのような人生を生きて来たのかは全く知らなかった。彼の音楽はもちろん聴いたことがあるけれどもその良さはよくわからず、彼が亡くなった今でもわかっていない(同じようにソウル・フラワー・ユニオンの良さもよくわからない)。

僕がデモやカウンターに行くと、かなりの確率で彼の姿を見かけた。不思議な佇まいで、「凛とした」とはああ言うことを言うのだなと今は思う。特に目立つようなこともせず、静かに、しかし確かに彼はそこにいた。

記事中で磯部涼さんが述べているように、ECDさんは確かに生活の一環として社会運動に参加していたのだろう。アーティスト、ラッパーとしての活動の一部ではなく、一人の親、一人の労働者、一人の市民の暮らしの一部として。そしてそういう人(僕ももちろんそうなんだけど)には民主的な社会はどうしても必要なのだ。民主主義という言葉を使わないならば、不当な格差や差別でやりたい事を諦めなくてもいい世の中は必要だ、と言い換えてもいい。彼が存命であれば、今はまた国会前にいたはずだ。僕は彼からそういう事を、多分学んだと思う。

ところで最後にECDさんを見たのはデモではなかった。僕が「音楽室」でDJをやるときにバスで渋谷Ballに向かったことがあった。そのときに笹塚か幡ヶ谷のどちらかから彼が乗って来た。闘病のためにかつてデモで見た姿とは変わり、ずいぶん痩せてしまっていた。でも彼が着るアディダスのジャージは凄く似合っていて、7インチレコードが入ったケースを抱えてシートに座った姿は、やっぱり凛としていた。

【ヒップホップ:ECDさん、デモに刻んだラップと生き様 毎日新聞】

https://mainichi.jp/articles/20180315/k00/00m/040/013000c


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