在宅勤務が終わりました
先週、出向先で配置転換があった。私も配置転換の対象となり、その結果として在宅勤務では対応できない仕事になってしまった。在宅勤務中に昼寝したり音楽聞いたり洗濯したりしていたことがバレたのかもしれない。そしてまた残業の日々が始まって、私は少しがっかりし、翌朝は早起きしてすっかり人が戻ってしまった満員電車に乗って出勤している。
住宅の販売はモデルルームで行われる。モデルルームで接客をするので、そこが出来上がるとネットワークを構築する必要がある。私達はオフィスでルーターのセットアップを行い、モデルルームがオープンする前にそこに発送する作業が発生する。それが在宅勤務ではできないために出社する必要が出てきてしまった。そしてモデルルームのオープンは週に2〜3箇所あるので、毎日出社することとなった。
COVID-19の感染状況が落ち着いているとは言えず、更にこの秋冬の再流行が警戒されている中で、私の出向先は在宅勤務の比率を減らして結局は元のように戻すことを目指すらしい。出向先は日本有数の財閥系企業。そういう会社が率先して新しい働き方を提案したらいいのにと思うけれども、コロナ禍の前はシェアオフィスをテレビコマーシャルまで打って大々的に展開していたから、オフィスが不要という流れには乗れないのだろう。
こんな状況は誰にも予測できないことであったし、気の毒といえば気の毒だけれども、そもそもコロナ禍の前からオフィスをなくしていく流れもあったわけで、その辺りに目をつけていればまた違った展開もあったのに、と思う。五輪の選手村にも関わっていたようだけれども、旧式な大事業に乗ってしまったセンスについては先見の明がないと言われても仕方がない。
これだけのことが起きてもなかなか世の中は変わっていかない。それどころか変わっていく予兆はことごとく摘み取られて行ってしまっているように感じることがある。「変わらない世の中」はその社会が強固であることの証明であると思うけれども、この閉塞感はどうしたものだろう。変えていかなくてはいけないものを変えず、変えてはいけないものを変えて(ぶっ壊して)いる。そんなふうに感じることが多く、小さな間違いをコツコツと積み上げて大きな間違いにしてしまっているように私は感じてしまう。
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