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忘れっぽいのは素敵なことだったりする。

高齢になってきた母は、
ときどき物忘れのことを気にする。

年齢的に、わたしたちも気をつけて
見ておかないといけないと思うが。

よくよく考えると母は昔からよく
兄姉妹の名前を間違えて呼んだり、
うっかりサザエさんな性格だったので、
「大丈夫、前からだから。笑」と
冗談混じりで返したりする。

ところで、わたしは
「忘れる」って素敵なことなんじゃ
ないかなと、思うところもある。

もちろん大切な人や約束、
思い出や感謝などは忘れたくないが。

小学生のとき、
年上の兄姉がいたわたしは
音楽に関してはすこしませていて、
中島みゆきや山下達郎を聴いていた。

その 中島みゆきさん の曲のなかで、
『傾斜』という、いま思うと
めちゃ渋めな曲がわたしはすきで、
その歌詞をいまでもよく思い出す。

としをとるのはステキなことです
そうじゃないですか
忘れっぽいのはステキなことです
そうじゃないですか
悲しい記憶の数ばかり
飽和の量より増えたなら
忘れるよりほかないじゃありませんか

小学生がこれを聴いて
感動してたわけですが。笑

その後大人になり、
ヨーガの哲学とその歌詞が
つながると思うことがあり。

atha yoga anushasanam.
今現在に意識を置くこと。

ある書籍によると、
人間は1日の8割を未来や過去のことを
考えることに使っているのだそう。

思い出しても仕方がない過去のこと、
そして、まだ起こってもない未来のこと。

わたしたちは「今」しか生きれないのに
その8割を未来と過去のことを考えて
過ごしているなんてもったいない。

そして、
ヨーガ哲学で得た知識として。

あの時あの人にこう言われた、とか
あの時ああしなければよかった、とか
嫌な過去のことはもちろん
早く忘れたほうがよいのだが。

あの時はよかったな、
昔はよかったのに、と
いいことばかりを思い出すのも
「今」に感謝できない原因なのだと。

例えば、
昔痩せていて10kg太った人が
痩せていた頃の写真を人に見せては
頻繁にこんなことを言っていた。

「昔のわたしは10kg痩せていた」
「ほんとのわたしはこうだったの」
「痩せてた頃の自分がほんとうの自分」

でも、
1年経っても2年経っても
その人は痩せることはなく、
そのままの体型だった。

そしたら。
「ほんとのわたし」は今現在の
この体型の自分なのだと思いませんか?

いつまでも
痩せていた頃の自分を思い出しては、
太った自分はほんとの自分ではない、
と否定し続けていたら。

あなたは
「ほんとの自分ではない自分」と、
一生を共に過ごすのかもしれません。
今の自分を大切にできずに。

太っていても
痩せていても
あなたはあなたです。

そして、わたしのクラスで
このお話を聞いた生徒さんが
SNSでおもしろい体験談を
シェアしてくれていました。

あのコーヒー、
また飲みたいな
あのブラウニー、
また食べたいな
あのサンドイッチも…。

と足を運んだカフェの、
店員さんが違った…
ブラウニーの厚みが半分くらい…
サンドイッチも…

としょんぼりしたときに、
わたしの話を思い出してくれたようで。

過去のよかった記憶と比べ、
今現在手にしているものに
感謝できていない自分に気づいた、と。

なにかを悟られたそうです。笑

人の不満とか葛藤って
ほとんどの場合、
ほかの人や過去の経験と
比べたときに起こりますよね。

例えば、
バナナを1本もらって
うれしかったはずなのに、
横の人が2本もらってたら、
「なんでわたしは1本なの?」
と不満に思ったり。

バナナを1本食べて
じゅうぶん美味しかったのに、
「きのうのバナナのほうが
甘かった気がする…」とか。

わかりやすく
食べ物の例えにしちゃいましたけど。
こういうことって結構あると思う。

だから、過去の経験は
思い出して今の糧になるのだったらいいけど、
新しい真っ白な気持ちで今を過ごせたら、
もっといろんなことに感動や感謝が
できるんじゃないかな、と思うわけです。

先ほど中島みゆきさんの
唄の歌詞を紹介させて頂いたけれど。

最近の曲でまた
「忘れる」って大事だなぁと
思わせられたのは。

藤井風さんの
「帰ろう」という曲。

ああ 全て忘れて帰ろう
ああ 全て流して帰ろう
あの傷は疼けど この渇き癒えねど
もうどうでもいいの 吹き飛ばそう
さわやかな風と帰ろう
やさしく降る雨と帰ろう
憎みあいの果てに何が生まれるの
わたし、わたしが先に 忘れよう

憎しみは
どちらかが忘れなければ、
カルマのループを創り出す。

そのループから抜け出すためにも、
「忘れる」は大事だったりします。

今を生きよう。


namaste.

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