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言葉の禁欲。

ヨガの教えの中に
タパス」という言葉があり、
苦行」や「禁欲」と訳されることが多いが、
焼くこと」「熱をつくり出すこと」による
純化という意味など、さまざまな意味がある。

自己を統御すること」とも捉えられ、
その中に「言葉の統御」も含まれる。

※ 統御(トウギョ)
全体をまとめて支配すること。
思いどおりに扱うこと。

スワミ・サッチダーナンダー 著
『インテグラル・ヨーガ』
パタンジャリのヨーガ・スートラ
に書かれていた言葉が印象的だったので
それをさらに調べたものを紹介させて頂く。

satyam brūyāt priyam brūyāt na
brūyāt satyam apriyam priyam anritam na
brūyāt esha dharmah sanātanah​.

 “Say what is true, say what is sweet, 
but do not say what is true but not sweet,
nor say what is sweet but not true,
this is wisdom.”

「真実を語れ、快きことを語れ。
そして、真実であっても快くないならば
語るべきではなく、快くとも真実でないならば
語るべきではない。これが智慧である。」

そして、もしあることが
真実かつ不愉快であるならば、
それは適切な方法で表し直すことによって
少しでも快くするべきだ、とも書かれている。

わかりやすく
わたしの解釈で書き直すとすれば。

真実であり、
快いことを話す。

本当のことであれ、
人を不快にさせるようなことであれば、
話さないほうがよい。


人を喜ばせることであっても、
真実でないならば言わないほうがよい。

真実であるが、
その人を傷つけてしまうようなことであれば、
なるべく傷つけないように、
言い方を考えて伝えるべきだ。


わかりやすく言えば
こういうことだろう。

これは「タパス」の項目で
説明されていたことではあるが、
わたしは考えかたによっては
他者を傷つけない「アヒムサ(非暴力)」にも
繋がるのではないかなと思っている。

口は災いの元、とも言うが。

良かれと思った言葉でさえ、
受け取ったほうの精神状態によっては
良いように受け止められないこともある。

しかしながら、
わたしたちは言葉を使って
コミュニケーションを取りながら
調和して生きてゆくのだ。

いくら気をつけたとしても、
結局は受け取る側次第になるのだが、
気をつけられることは気をつけようと思う。

それでも悪く取られる場合は、
それはこちら側の問題ではなく、
相手の問題だったりするから、
あとは天にお任せしよう。

写真は、
2017年北インドの聖地・リシケシに
訪問した際 撮ったガンジス川の写真です。

来年はインド行きたいな。
おやすみなさい。

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