永春の終わり

彼と出会ったのは春だった。
次の日濡れたビニール傘を乾かそうと開いた時、そこには一枚の薄紅の花びらが張り付いていた。今から18年も前の事なのに、その印象、ビニール傘に残った水滴、その一枚の鮮やかさが脳裏から消えることはない。
彼と出会ったその日の全てがその一枚なのだ。
張り付いた、私の執着心。
それはその一枚の花びらのように小さいけれど、ビニール傘の透明な面積にしっかりとへばり付いていた。

時は18年が過ぎる。
私はもう枯れ果てているだろう。季節は繰り返され、何度だって春はやってくるけれど、18年前の私はもう死んでいる。それなのに、その時生まれた執着心だけがこの現在にも生きていたのだ。
なんて恐ろしい。空しい。悲しい。取り返しは付かない。けれど笑えてしまう。
人生は喜劇だ。
チャップリンの言葉は正しい。
「人生は近くで見ると悲劇だが、遠くから見れば喜劇だ」
18年前、悲劇の中で生まれた執着心は、今ここで見れた喜劇に過ぎない。
恋愛指南書のようなものの中で「悲しみから生まれた恋は長く続かない」と読んだことがある。恋人と別れた寂しさを新しい恋で埋めようとしてはダメだと書かれていた。それではうまくいかない、と。
長く続かないというのは間違いだな、と思う。18年も続いてしまった。

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