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『羊たちの沈黙』と「まなざし」

なんにもやる気が起きなかったある日、『羊たちの沈黙』を観た。なんかグロそうっていうただそれだけの理由で観るのを後回しにしてきた一作だ。

同じような理由で、D.フィンチャーの『セブン』も観るのを後回しにしていたのだけど、ことしの3月ついに観た。感動した。おもしろすぎた。『セブン』の成功体験があったので、「なんとなく」で観るのをためらうのはやめようと思うことにした。

そんなわたしの背中をさらに押したのが、先月のできごとである。

自室のシャッターを閉めようとしたら網戸に「クロメンガタスズメ」らしき蛾がとまっていた。部屋に入ってこようとしたからつまんで放り投げたけど、あの模様はやはり不気味だ。そういえば小さいとき、家に持ち帰った幼虫を育てていたらクロメンガタスズメだったなんてことがあったことも思い出した。

メンガタスズメといえば『羊たちの沈黙』だ。ポスターに描かれているアイツである。謎の自信をつけたわたしは、この映画を観ることを決意した。

ミステリー/スリラー作品としてはもう「古典」の部類なので、その不気味さには目新しさは感じられなかった。だけど、たくさんの元ネタに触れた気がして、テンションがぶちあがった。

でも、この映画の醍醐味は、不気味さや猟奇性にはないような気がした。

「究極の恋愛映画」という異名があるように、ハンニバル・レクター(アンソニー・ホプキンス)はクラリス・スターリング(ジョディ・フォスター)にゼッタイ恋している。資料を返す際の手つきとか、彼女の絵を描き上げてしまうあたりとか、ガチ恋そのものだ。

ではレクターはなぜ、クラリスに恋したのか。それは単に彼女は容姿端麗だったからというわけではないとおもう。

クラリスはその容姿のおかげで、周囲から美人訓練生というような「色眼鏡」でみられている。上司のクロフォードの言動は完全にセクハラの域だし、クラリスが蛹の鑑定を依頼したスミソニアン博物館の男たちも、クラリスを性の対象としてみているように描かれる。つまり、クラリスは周囲からの「まなざし」にさらされたあげく、ひとりの人間として、その「役割」抜きで接してくれる異性がいなかった。

一方のレクターもまた、その異常性と逸脱性という「色眼鏡」でみられるあまり、周囲からはまるで人間ですらないように扱われてきた。そんなレクターに対して、ひとりの人間として真摯に向き合い、時には自分を地下の牢獄から解放してくれるようなウソまでついたクラリスに、レクターは心の底から惚れてしまったのだと思う。

レクターが脱獄した際、クラリスは「私は狙われない」といったような謎の自信をみせる。この場面からは、クラリスがレクターの想いにある程度気がついていたことを思わせる。

そしてクラリスもまた、自らのトラウマを聴き取ってくれたレクターに対し敬意を超えた感情を抱いていたように思える。彼女はその見た目とは裏腹に、少女時代に抱えた「傷」を癒せないままでいた。その「傷」を笑い飛ばさずに耳を傾けたどころか、克服のためのアドバイスまでくれたレクター。彼のおかげで、彼女は一人前の捜査官となって「蛹」から変身を遂げられたといえる。

クラリスは容姿端麗な女性として、レクターは猟奇的な異常者としてそれぞれ「まなざし」にさらされてきた。他者からの視線の痛みが痛いほどわかるふたりは、ほかの誰ともわかちあえない奇妙な信頼関係を結んだ。

「人は普段から目にするものを欲しがる」と語り、犯人は被害者の身近な人物であると示唆したレクターのセリフは、本作がまさに「まなざし」のもとで巻き起こる「欲望」をテーマにしたものであることを感じさせる。

ところが、原作者のトマス・ハリスは、本作の公開後ジョディ・フォスターにガチ恋し、彼女を意識しまくったあげく原作の続編もあらぬ方向にいってしまったといううわさも聞く。そう、原作者でさえも「まなざし」の渦から逃れることはできなかったのだ。なんとも皮肉である。

それに嫌気がさしたジョディ・フォスター本人は、続編でクラリス役を降板してしまう。そして現在は、女性のパートナーと「同性婚」したという。

ここまで書くとレクターが妙に心優しい人物にみえるが、もちろん全然そんなことはない。だけどわたしには、クラリスの上司・クロフォードのほうがよっぽど気持ち悪く感じられたのだ。

まぁ、そんなわたしもジョディ・フォスターの顔はもちろんとして、鼻めっちゃうつくしいな…と思いながら見てしまったのだけども。

鼻フェチのレベルでいえばレクターに勝てる気がするな(おい)。

結局、どんな人も「役割」や「まなざし」をいっさいがっさい取り払って接するなんてできないということ、なんだと思う。

わたしの書いたレビューは以下リンク先にもあります。ぜひ。

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