見出し画像

ストリートピアノにモヤモヤする

誰でも弾けて、その場を音楽で満たすことを目的として、近ごろいろんなところに設置されている「ストリートピアノ」。

地元のショッピングモールにもおかれている。

だけど、特定の人が長々と「占領」してリサイタルをはじめる。
ピアノの知識がまったくないわたしには、それがうまいかどうかすらわからない。

最初は、「お、なんか弾いてる!」と興味深々の買い物客たちも、あまりに長く弾かれてるもんだから、次第に見向きもしなくなっていく。
なにより音量がデカい。店員さんの声が聞こえない。

とまぁ、ここのショッピングモールでの問題はあくまで、「占領」するひとの人間性にあるとしても、なおモヤモヤすることがある。

それは、他のさまざまなモノをさしおいて、なぜピアノだけ街におかれるのか。
そして、彼ら彼女らはなぜそのピアノを弾こうと思うのか、ということだ。

もし、街や施設にカメラがおかれていて、「ご自由にお撮りください」ってなっていても、カメラ好きのひとは撮ろうと思うのだろうか。

お茶の道具一式がおかれていて、「ご自由にお立てください」ってなっていたら、お茶が趣味のひとは立てようと思うのだろうか。

花がおかれていて、「ご自由にお生けください」ってなっていたら、花が趣味のひとは生けようと思うのだろうか。

たぶん、あんまり思わない気がする。

実際に設置してみなきゃわからないけど、ピアノの優位性には勝てないと思う。少なくとも、調理器具と食材が「ご自由に調理してください」っておかれていても、料理が趣味のひとは手を出さないだろう。あるとしたら『噂の東京マガジン』くらいだ。たぶん。

そこにピアノがあったら弾きたくなるのかしら…?
山好きでいうとこの「そこに山があるから」みたいなもんなのかな。
たしかにピアノが弾けるってすごいことだと思う。けど、公共の空間で優遇されるべきものなのかなって考えてしまう。

僻みじゃないかって?それはそう。
それはそうだけどとにかく、趣味の域を超えでたなにかをそこに感じる。

弾きたいというよりも、聴かせたいというパフォーマー意識のほうが強いんじゃないかって勘ぐってしまう。

この春、ひとり旅をしたとき、駅構内におかれていたピアノで長々とリサイタルしていた男性がいた。
女子高生たちも寄ってきて、黄色い歓声も飛んでいた。

そしたらしばらくして、3歳くらいの男の子が叫んだ。「うるさい!」と。

親御さんは顔を真っ赤にしていたけど、子どもはいつだって正直なのだと、あらためて感じた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?