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「カツカレーの法則」について

カツカレー。カツとカレーだからカツカレー。
おいしいし、プチ贅沢の気分を味わえる。

でも、カツカレーをみるたび考えてしまうことがある。

カツそのもので100点の魅力。
カレーもそのもので100点の魅力。

だけど、両者を掛け合わせたカツカレーは200点の魅力もつ、ということにはならない。

そう、これこそがいわゆる「カツカレーの法則」だ。我ながら良い概念を思いついたと自画自賛したかったけど、ウェブ検索をかけてみると、どうやら同じことを考えているひとがいたようだ。

くっ、先を越されたか…。くやぢい。

と、気を取り直してここでは、この「カツカレーの法則」がわりといろいろな場面であてはまるのではないかってことを考えてみたい。


ケース①
推しのバンドどうしで対バンする場合

推しどうしなのだから胸をときめかせるだろうし、絶対楽しいとワクワクする。
でも推しのバンド(それぞれAとBとする)どうしでそれぞれの魅力を相殺してしまうせいか、Aの100点+Bの100点=200点の体験にはなかなかならない。

それどころか、対バンよりもそれぞれのライブに行きたかった…。なんて思いをすることもあるかもしれない。


ケース②
推しが共演する映画、ドラマ、アニメetc…。

この場合、推しと推しが共演するんだからおもしろいに違いないと思ってしまって、期待値が爆上がりしてしまいがちだ。

期待値がいちど爆上がりすると、なかなか引き下げるのはむずかしい。
だからこそ、どれほど面白くても200点満点をつけられるようなクオリティには到達できない。

いっそ別々の作品楽しんだほうがいいよな…ってなることもある。


ケース③
「コラボカフェ」

作品のキャラクターなどに関わるグルメが「リアルな料理」となって提供されるコラボカフェ。当初は、作品の世界観がリアルにあらわれることへの喜びの声が大きかったように思う。

しかし近頃、その再現度とかコストパフォーマンスをめぐって賛否がわれるようになってきた。場合によっては「否」のほうが多い。

これは、現実の100点満点の料理と、再現度100点満点の両立を目指すことはむずかしいということの証左だと思う。つまりここでも、作品の世界観100点+現実の料理100点=200点は目指せない。

それぞれの世界はそれぞれのままにということかしら。


ケース④
半チャーハンじゃなくてチャーハンを頼んだとき

いつもは半チャーハンで済ましているけど、たまにはプチ贅沢でチャーハンにしたろ!って思ったとする。でも、お腹と味覚は半チャーハンに適応しているあまり、飽きてしまった…なんてパターン。

このとき、いつも頼む半チャーハンのほうが満足度が高かったことに気づかされる。

当然のことかもだけど、量が多いことは満足度に比例しない。

半チャーハンの倍の量だとしても、満足度も倍になるわけではないのである。


ケース⑤
顔立ちが整ったひとが、いろいろな才能をもっていた場合

カツカレーの場合、ビジュアル的にカレーのおいしさが優先条件とされてしまって、カツやライスのおいしさに光が当たりにくい。

これと同様に(?)、顔立ちが整っていることそのものが優先条件として評価されるあまり、他の才能(たとえば楽器が弾けるとか)が相対的に過小評価されてしまうパターンもよくある。
その才能はそれ自体で100点として成り立つのに、他に優先されるべき100点の評価項目をもっているせいで200点にはなりにくいのだ。

このせいでムダにこじらせてしまいがちなのが「顔立ちが整ったひと」本人だ。なんともかわいそう。


ケース⑥
ふたりきりで会えば楽しいのに、集団となると途端に魅力が減るような友人

これも、その友人がもつ魅力を他の友人の魅力相殺することによって起きてしまう。

その友人を「魅力」を引き出してるのは自分なのか、それとも、わたしにとっての「魅力」は友人にとっての「魅力」とは別なのか…。
という問いはとりあえず置いておくとして、こうしたケースもわりと多くある気がする。



以上、いろいろなケースにわたってカツカレーみたいな現象をみてきた。

掛け合わせたのに微妙、要素が多すぎて微妙、期待値が上がりすぎて微妙…。

これらはなんとなく、カツカレーらしさにあふれている。
とか言ってたら食べたくなってきたな…。

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