おひとりさまムービーとしての『フレンチ・ディスパッチ(以下略)』
ウェス・アンダーソン最新作、『フレンチ・ディスパッチ ザ・リバティ、カンザス・イヴニング・サン別冊』を観てきた。
ウェス・アンダーソンの映画といえばオシャレ、ひとつひとつのカットが芸術だとよく言われる。けど、美術面への評価ばかりが先行しているイメージがあるような気もしていた。
そんなわけで、この投稿は完全に「にわか」のひとりごとなので悪しからず…。
ほんとにほんとにもう、情報量が多い。
多すぎて途中で考えることをやめたくらい。
登場人物の多さもさることながら、セリフが難しいのなんの…。翻訳者の石田さんほんと頑張ったと思う。
上映時間に対して密度が濃すぎる。
けど、単なるオシャレ目当てでみたらもったいない。絶対もったいない。
これはウェスによる、すべてのクリエイターと、すべての「ひとり」に向けた人間讃歌だと思う。
本作は、「フレンチ・ディスパッチ」誌最終号をめぐる、3人の記者の物語がオムニバス形式で描かれているわけだけど、これらの物語のそれぞれが非常に突飛。
それに、記者たちの職人気質のクセがすごすぎて、予測なんてできたものじゃない。
「どう生きてたらこんな映画思いつくんだよ…」と、おどろきの連続。
そして、わたしにとってのさらなるおどろきは、オムニバスだけどそれぞれの物語がほとんどクロスオーバーしないというところ。
それぞれの物語がどこでつながるかがまったく見えないので、観ているこちらも頭に「?」が浮かびっぱなしだった。
けれど、彼らはそれぞれ記者であるという点では共通していて、そのクセの強さを認め雇い入れてくれた編集長(演:ビル・マーレイ)こそが、それぞれの主人公そして、本作をつなぐ「糸」のような存在になっている。
編集長のセリフこそ多くないけど、なんとなく伝わる人柄がそれを雄弁に物語っているように思う。
さらに、それぞれの物語では、記者と取材対象のどちらかがなにかしらの孤独感のようなものを抱えていた。
Story#1で描かれていたのは、囚人と看守という役割から離れて、画家とモデルの役割を負うことで孤独感を共有するふたり(演:ベニチオ・デル・トロ&レア・セドゥ)。
Story#2で描かれたのは、ジャーナリストと学生運動家という役割を離れ、恋人とも似つかぬなにかになることで、心の穴を共有をしようとするふたり(演:フランシス・マクドーマンド&ティモシー・シャラメ)。
そしてStory#3で描かれたのは、祖国を追われた孤独感のなか、孤独を和らげる「味覚」を信じた記者と、孤高の謎のシェフ(演:ジェフリー・ライト&スティーヴン・パーク)の物語。
このように整理してみると、本作はまるで「孤独感」を埋めるものがテーマの映画だというようにも思えてくる。
けれども本作では記者たちの家族や友人の姿がほとんど描かれない。孤独感を埋めてくれるのは、何も恋愛や家族や友情に限らないからだ。
深い絵画、美しい文章、美味しい料理…。
それらはそれぞれのかたちで、それぞれの人びとの孤独を埋めてくれる。
芸術はいますぐ「役に立つ」ものじゃない。けれど、じわじわーっとなにかを埋めてくれるはずだ。
本作はまさに、そんななにかを埋めてくれるすべての作り手と、それを求めるすべての「ひとり」に贈る映画だ。
きっと心が弱いときだったらラストで泣いてたかもしれないと思うほど。
大きなシネコンで誰かと観るよりも、街場のミニシアターにひとり忍び込んで、映像美に浸りながら頭こねくり回して観てみてほしい。
心なしか少しだけ弾んだ心持ちで、わたしは映画館を後にした。
(ただ、エドワード・ノートンの出番が思っていた以上に少ないので、ノートンファンはがっかりするかも…?)
パンフレットまでオシャレなので、ぜひ。
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