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怨憎会苦に負けた夏
怨憎会苦(おんぞうえく):恨み憎む相手と会う苦しみのこと。
--ドラマ『コタキ兄弟と四苦八苦』第一話より
※仏教でいう「八苦」のひとつ。八苦の概念をテーマにしたドラマ『コタキ兄弟と四苦八苦』では、現代社会の「怨憎会苦」の物語が描かれている。
先日のこと。
ケータイをみてたら、「数年前のきょう、あなたはここでたくさん写真を撮りましたよ」という、いわゆる「メモリー」の通知がきた。
自動でまとめられたアルバムを見て、あっ…と思った。そう、この日のわたしは縁切りに出かけていたのだ。
当時のわたしは、会いたくないひとだらけだった。家と大学と病院の往復だけで体力的に精一杯で、他者を思いやる余裕などなかったからだ。
でも、なんだか自らハンディキャップを全面に掲げるのが嫌で、大学のひとには悟られないようにした。病状や病態を説明するのも面倒くさかった。
その代わり、わたしが倒れた当時を知っている人びとには、知っているなりに対応してほしいと期待した。
けど、それは無理なお願いだった。
なぜなら、「大学生になれた=元気になった」と解釈するひとが多かったからだ。お声がけをいただくのはありがたかったけど、倒れる前並みのパフォーマンスを期待されるのは正直かなりキツいものがあった。
10代の人びとにとって、「副作用がひどくて布団から起き上がれない日がある」とか「味覚がほとんど機能してない」なんて伝えてもピンとこないと思う。実際、わたしだって病気してなければ想像できなかったことだと思うし。
そこに悪意はないのはわかってる。悪意はないのだけど、それが逆にしんどかった。
その環境にいることだけじゃなくて、ただ自分が満たされたいがためにわたしを使おうとするひとの存在も、わたしを疲弊させた。
次第になんだか憎らしく思えてきて、ストレスが貯まる一方だった。まさに「怨憎会苦」である。
解放されたいと思ったわたしは、「縁切り」を願掛けすることを思いついた。もちろん、一番切りたいものは病。だけど、ここでいっそ人間関係をリセットしたかった。たまには自分の好きなようにさせてほしい。わたしはあなたたちのためにあるわけじゃない。
そこで、夏休み前のある日、わたしは四谷三丁目へ行くことにした。
ここには、四谷怪談でおなじみの「お岩さん」を祀った「於岩稲荷田宮神社」と「陽運寺」が向かい合わせで建っていて、さまざまなサイトで縁結び&縁切りスポットとして紹介されている。
しかしこの両寺社、建立の経緯をめぐってお岩さん本人もびっくりするほどのドロドロした歴史があるらしい(この件の詳細は講談師の六代目神田伯山さんがラジオでわかりやすく語っていらしたので参考までにどうぞ)。
個人的になにかもの足りなかったので、追い縁切りをすることにした。8月の頭、板橋区にある「縁切り榎」へと足を運んだ。
旧中山道沿い、榎の巨木に祠が建てられたそのスポットは、江戸の昔には、嫁入りする女性がわざわざ迂回を推奨されたほどだという。
絵馬を書こうと思ったけど、掛けられている内容があまりにも生々しかったのでやめた。
とりあえず祠の前で、あくまで自分の都合の良い範囲での縁切りを願った。
そこから数ヶ月後。
LINEが続いていたひとたちとのやりとりが途切れはじめた。そして、絶対に会いたくないひとと奇跡的なニアミスをする場面が増え、文字どおり「命拾い」をした。
それと同時に、これまで定期的に会っていたのがウソだったかのごとく、仲の良かった人びとと会う機会がなくなった。
縁切りの効果は絶大だった。
でも、やっぱり虫が良すぎるお願いだったのだろうか。切れたくない縁まで切れてしまった感は否めない。怨憎会苦の次は「愛別離苦」(愛する者と別れる苦しみ)が襲ってきた。
かなしいけどしかたない。
でも、病を含めて断ち切りたいものは断ち切れたから結果オーライと思うことにしている。
ただ、ひとつだけ強調しておきたいのは、縁切りを願うときは範囲を明確にしておくことがだいじだということ。さもないと、けっこうイタい目をみる。
あそこで断ち切れてなかったら、いまごろわたしはどうなっていたのだろうか…と思わずにはいられない。
わたしはズルいやつ。逃げたり断ち切ったりの繰り返し。非情と思われるかもしれない。けど、こんな非情な要素を抱えてるからこそ、ふだんはしっかりやさしくいられる。
これはこれでバランスを取っているのです…。
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