男が「吉澤嘉代子が好き」と主張しにくい問題
吉澤嘉代子さんの音楽は素敵だ。
あらゆる曲のあらゆるところから、「いまを強く生きる乙女心」が溢れている。
曲のジャンルと歌声も幅広く、ひとりのはずなのにいろんな女性シンガーと出会えたような、お得感も味わえる。
この幅の広さは、わたしが何より愛してやまないサザンオールスターズをも彷彿とさせる。
サザンの「永遠の乙女」ともいうべきメンバーである原由子さんらしさや、ユーミン、中島みゆき、井上陽水といった方々へのリスペクトを感じさせる部分もある。
さて、今回問題にしたいのは、吉澤嘉代子さんの音楽が乙女すぎるあまり、男のひとが表立って「吉澤嘉代子が好き」とは主張しにくくなっているのではないか、ということである。
まず、吉澤嘉代子さんのYouTubeチャンネルにある、MVに対するコメントをみてみよう。
「号泣した。童貞なのに。」
『残ってる』MVより
「俺男だからあんまりわかんないけど吉澤嘉代子さん聞いてる女子ってすんごく可愛いと思う、、結婚したい」
『鬼』MVより
などなど、男とそれに関連する属性を、申し訳なさげに付け加えるようなコメントが少数派ながら散見されるのだ。
このような、自らの行為が問題視される状況を事前に予期して、その効果を緩和すべく「予防線」を張ることを、社会学では「事前否認」と呼ぶ。
では、なぜこうした「事前否認」がなされるのだろうか。
『残ってる』の歌詞は、はじめての朝帰り、そして失恋を経験した女の子の繊細な想いを描いており、さまざまな「連想」を呼び起こす。
だからなのか、MVのコメント欄は歌詞に自分を重ね合わせたリスナーたちによる、淡い失恋エピソードで埋め尽くされている状況になっている。
いうなればそこは、「女の子たちの失恋話暴露大会」と化している。
そんな中で堂々と、「男性」視点を持ち込むことはたやすいことではない。
だからこそ、「男性」リスナーたちはおそるおそる「事前否認」しながら自己主張せざるを得ないのだと思う。
とはいえ、男性が表立って「好き」となかなか主張しにくい女性シンガーはいままでにもいた。
椎名林檎さんやaikoさんがその好例だったが、彼女たちはビッグネームになるにつれその壁は薄くなっていった。
その一方で、西野カナさんのようなシンガーは最後までその壁が分厚かったように感じた。
しかし、吉澤嘉代子さんの曲はいままでの女性シンガーとはまた違った、ものすごーく繊細で、かつ「男性お断り!」みたいな空気を感じる。
「いまを強く生きる乙女心」をこれほど多面的に表現されたら、そりゃ男の入るスキなどないよなって思ってしまう。
でも、その類い稀な音楽性に惚れる男性も少なくないのである。
ということで、ここでひとつ主張しておきたい。
吉澤嘉代子リスナーのみなさん、どうか、男性の新規も暖かく受け入れてください!
彼女の曲に惹かれる男性はきっとみんないいひと…なのではないだろうか…。たぶん。
とまぁ、熱く語ってしまったけれど、こんなところにもジェンダーの壁の分厚さが存在すると実感させられた。
しかたのないことかもだけど、壁はあるよりはないほうがいい。
ジェンダーを超えて趣味を語れる世界のほうが、ずっと面白いとわたしは思う。
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