亡くなった父の話3

母を罵倒する父

父が入院して半月後、私は帰省して弟と病院を訪ねた。

「父のわがままがひどい」とか、「訳の分からないことを言って怒鳴られる」だとか、父の愚痴のようなのを日頃母から聞いてはいたが、実際に見ると胸が痛むものだった。

放射線治療の影響か、父は認知が低下していた。
病院のコンビニには売っていないものを買ってこいと母に言いつけ、買えないことを説明すると「役立たず」と罵倒した。

更に父はろれつが上手く回らず、何度も聞き返すと「使えない」だとか、「カス」と母に言っていた。

何度伝えても理解してもらえないもどかしさ、正しいと思っていることが否定されることのイラつきが父の中にはあったに違いない。

さっちゃん(私)なら話を分かってくれると、通訳を任されることもあった。
そのたびに、聞き取れなくて罵倒されたらどうしようと怖かった。

私はたった3日間、しかも1日2時間ほどいただけだし、私自身が暴言を吐かれた訳でもないのにとても胸が苦しくなった。

残された時間を、少しでも長く父のそばにいたい一方で、すぐにでも病室を飛び出したい気持ちだった。

しかし、母はほぼ毎日病院に行き、暴言を吐かれている。
しかもその終わりはまだ見えないのだ。

生きることが果たして幸せなのか

私は、父のがんが発覚してから、とにかく長生きをすることがいい事だと思っていた。

いい病院を探し、いい治療法を見つけ、どんな形でも長生きすることが最善の策だと思っていた。

しかし、母の立場に立って考えた時、このとき初めて「仮に父がこの状態で長生きしても、誰も幸せじゃないんじゃないか」と思ってしまった。

「もういっそ父は死んだ方がいいのではないか」と思ってしまった。

糖尿病、末期の肺がん、脚の骨折、病院での生活、認知の低下、言葉の不自由、母との喧嘩

これを背負って生き続ける意味はあるのかと思ってしまった。

「もうダメみたい」

父の様子をうかがいに帰省してから約10日後、その時は突然だった。

私は午後から大学で授業を受けていると、母からの電話でスマートフォンが震えた。

電話には出られず、教授の目を盗んですぐにLINEをした。

父に関することで日ごろから連絡はとっていたが、突然電話をしてくることは滅多にないのでなんとなく嫌な予感がした。

「父さん急に心拍が落ちて、もうダメみたい」

「今心臓ほとんど止まって、あと少しで死亡宣告ある」

なんて返せばいいのか分からなくなっている間に、母から追加のメッセージがきた。

「さっき医者から死亡宣告がでました」

父は、酸素量も安定しており、声をかけたらうなずいたりもしていたそうだ。

しかし、看護師さんに体拭きをしてもらっている最中、大きなくしゃみをし、しばらくしたら声掛けにも反応しなくなり、死亡した。

もう授業どころではなかった。教授の話は何も入ってこない。
全てを理解し、父の顔が頭に浮かんだ瞬間、涙が止まらなくなってしまった。

教室を飛び出てトイレで泣いた。

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