亡くなった父の話(終)
父の故郷へ
父が亡くなった翌日、広島で一人暮らしをしている弟と時間を合わせて山口へ帰省した。
駅には親戚のおじさんが車で迎えに来てくれて、駅の定食屋さんでうどんだけでなくソフトクリームまでごちそうしてくれた。
駅から父の故郷まで、車で約1時間ほど。
おじさんは気をつかってか父の話を一切出さず、私たちの一人暮らしについてや学校について聞いてきたため、車内で涙を流さずに済んだ。
父の故郷に着いてからは、直接お通夜の会場に向かった。
あれだけ車の中で我慢していた涙だったが、葬壇を見た瞬間に泣き崩れてしまった。
目の前の棺桶に死んだ父がいる。
それを見てしまうと父の死が現実になってしまうと思った。
「見たくない、見たくない。」と言っていたが、祖母に「しっかりお別れしないと」と棺桶の前に連れていかれ、父の顔を見た。
死んだ人を見たときにありがちな言葉ではあるが、とても穏やかな顔だった。
それ以外に表現がないほど、穏やかだった。
ガンで痩せたり、苦しんだりして亡くなってしまった人は、棺桶の中でも痩せこけて、苦しそうな表情をすることがあると聞いたことがある。
父は、頬の肉もちゃんとついていて、目鼻立ちもしっかりしていて、まるで本当に眠っているように死んでいた。
会場ではたくさんの人が父を見て涙し、父の家では見せない姿を想像した。
父と2人きりの最後
通夜も終わり、明日の葬式に向けて、私は母と会場に泊まることになった。
お風呂に入ったあと、全員が帰って誰もいない葬段に行き、1人で父の顔を見た。
何度見ても眠っている。
愛する娘が父の顔に涙をこぼしているというのに、起きやしない。
そのとき、高校時代のある出来事を思い出した。
その日は学校でとても悲しいことがあり、その気持ちを抱えたまま帰宅した。
家族の前で泣くなんてとても恥ずかしくてできない娘だったので、お風呂で1人で大号泣し、気持ちが落ち着いたあと、顔をシャワーで流して出た。
すると、お風呂から出た私を見て「お父さんの布団に入りなさい。」と言ってきた。
また調子にのって添い寝を求めてきやがったと思ったが、「お父さんの布団はストーブが近いから暖かいぞ」という言葉で気づいた。
大号泣後の私の鼻は少し赤くなっており、それを見た父が、寒がっていると勘違いして暖めようとしてくれたのだ。
後で鏡を見たらたしかに少し鼻が赤かったが、母も弟も気づかなかったくらいだ。
泣いてたとまでは分からなかったものの、父ってすげぇ…と感じたのを覚えている。
陰に隠れて泣いていた娘の変化に気付く父が、目の前で娘が泣いているのに気付けない。
父の顔に娘の涙がぼとぼと落ちているのに気付けない。
父は、本当に死んだのだ。
二度と父と話すことはできない。父の運転する車には乗れない。父のうるさいいびきも聞こえない。
暑苦しいと散々私が嫌がった父は、これからずっと冷えきったままだ。
明日火葬され、形は無くなり、もう二度と会うことはできない。
あたりまえだったことが二度とできなくなる。
これが、死ぬということなのか。
翌日、父の葬儀は無事に終わり、慌ただしかった2日間を終え、3日目は祖母の家でゆっくり過ごした。
祖母の家にあるアルバムを開き、私は1枚の写真を一人暮らしの京都へ持ち帰ってきた。
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