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梅雨IN

一度始まれば終わることは恐怖で、しかし始まらないこともまた恐怖だけれど、梅雨はそもそも始まらないで欲しいし始まったならすぐにでも終わりが来て欲しい。

感情に名前をつけたがる悪い癖は何歳になっても治らず、なぜ?どうして?といつも理由を求めてしまう。理由なんてなくてそこに起きた感情をありのまま見つめればいいだけ、というのは軽率な気がしていたから。そもそも生きてる意味なんて考えても仕方のないことであるし、ただ居るからそれでいい、という答えもいいとは思うのだけどわたしはなかなか飲み込めずにいた。

目の前で嫌なことが起きてもただそれを受け入れるほかないこともあるよね、と思うことが増えた。我慢するというよりは静観するようになった。そうである姿を見ても自分の感情に振り回されず個として受け入れること、それは自分の中での革命だった。相手のことをなんでもわかったような気になるのはおごりだったと思い知る。わからないことのほうが当たり前だった。自分以外は他人なのだ。自分のアクセサリーでも所有物でもないのだ。それぞれに人生があってその道筋はばらばらなのであり、多様でいい。

梅雨だって、ただ雨が降っているだけのことなのになぜか憂鬱になってしまうこの気持ちは紛れもなく人間らしさだなあと思う、ああ人間ってめんどうくさい。小さな革命が起こってからはめんどうくさいのに、愛すべき存在だとも思うよ。

一度はじめた物語でしょ?主人公は自分じゃなきゃね