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気がつけば出産してから半年が経っていた。

子が自分でできるようになる事が増えるにつれ、自分から徐々に手が離れていくのを実感する。皆は俗にこれを淋しいというが、私は手が離れるのを待ちに待っていたという期待の感情が大きい。手が離れていく過程のおかげで、わたしは子を徐々にすきになることができていると思う。自分の時間がないことが、心の余裕をそれほどに奪っていたのかと思う。出産してすぐエネルギーが爆発するように母性が芽生えるひともいれば、細々と微かに光る星のように小さいところから母性が生まれるひともいる。私は後者だった。

助産師の同期たちが出産・子育てのことをSNSにあげていたのを何年か前からみてきたから、自分も助産師として働いていたし出産したらすぐに子が大好きになり、ぶわあっと愛が溢れ出す勢いで母性が生まれるものだと思い込んでいたのかもしれない。

けれど、自分の場合そんなことはなかった。むしろ出産してすぐに愛が溢れ出すほどの母性を持てるひとたちがとにかく眩しくて羨ましくて憧れで、そんな感情を持てない自分が悲しくて悔しかった。自分もそうなりたかったと、今も思っている。

溢れ出すほどの母性はないけれど、細々とゆっくり奥底でゆらめく母性の土台のような感情は日々成長している。まだ母性というには足りないけれど、ふつふつとこれまでにない感情というものにようやく出会い始めているのかもしれない。

仕事を辞めたので、4月から保育園に入れることもないが、引越をして落ち着いて一時保育という制度が使えるようになり、子が初めての保育園で社会へのデビューを果たす。またひとつ階段を登り、違う世界を見てほしい。家族という集合体以外の別な居場所があること、あなた自身の世界をつくりだしていけることをどんどん知ってほしい。あなたという人格がどんな風になるのか楽しみだ。だから、離れることが楽しみである。もちろん自分の時間が生まれることも格別に嬉しい。

ハーフバースデーは特別何もしなかったが、花を買った。大好きなひとへの贈り物は花がやっぱりいちばんだ。