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パンクに生きよ

反骨精神が無くなってきたな、と同期の子と話していて感じた。

同期とは言ってもわたしとは年齢が5歳以上離れているので若干世代の差がある。その子の年齢の時の自分を思い出したら、もっと今よりはつっぱって生きていたなあと思い出す。かなり生意気で我儘に生きていた。やっぱり歳を重ねるごとにひとは諦めを覚えていくものなのかもしれない。

久しぶりにスマホのカメラロールを見返して、過去の自分のセンスだとか好きなものを思い出し今の自分にはもう無い感覚がそこには残っていてちょっとがっかりする。だとするも今の自分のセンスってなんなのだろう。もっと積極的に自分が美しいと思うものに近づいて触れて感じないと、もう何も感じられなくなってしまうんではないかと怖くなる。突然ひとりで遠くに行くとか、出来なくはないんだけど完全なる自由は無いからそれが昔とは違うところなのだろう。

最近になって、子とふたりで夜を過ごした時に猛烈に泣けてきて私は君のいない人生はもう分からなくなってしまったんだなあと感じた。自由に生きる君を見ていると、もっと一緒にどこかへ行くのってありなんじゃないかとようやく思えるようになった。今まではひとりでいたい思いがかなり強かった。母性が芽生えるのが遅くて、ごめん。旅行というよりかは、何も無い広いところに行く、みたいな。目的は自然の美しい景色を見つけるとか。そういうやつがいい。というか、美しいものは君の方が見つけるのが得意だからおまかせしたい。 

反骨精神は減ったとしても諦めたらそこで試合は終了だよ。もがいて泥臭く生きてこ。