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長い

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雑記、日記、具体的で長い文章
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厄!

部屋の中で、さまざまなものがそこかしこに転がっていて、何から片付けたらいいかわからない。片付けが苦手だ。全くものを増やさないか、ものを、まだ置かれていない場所に置くかのどちらかしかできない。 頭の中でやらないといけないこともそうで、この先々でやらないといけないことを予測しただけでもう全てを投げ出して眠りたくなってしまうんだ私は。実際にやってみたら、瞬きする暇もなくらい瞬時に完了することもあるが。 「やらないといけないこと」と「やりたいこと」は全然違っていて、やらないといけな

近況報告と反省

最近やっと落ち着いたような、落ち着いてないような不思議な気持ちです。毎朝電車に乗っていると、同じ時間でも、夏よりだいぶ太陽の位置が高くなったような気がします。 ここ数ヶ月間noteへの投稿が滞っていたのは2つくらい理由があります。この書き方なんだか重大そうだけど全然そんなことはない、いつもの記録です。 5月ごろ、あるソーシャルゲームにどハマりしてしまいました。7月にはそのことだけを呟くアカウントまで作り、今もそちらに毎日インしています。とても気に入っているキャラクターがい

自由研究

西の空は、授業で習った龍の腹側の鱗のように青白く透き通っている。日が落ちていくときは地球の皮膚がめくれる瞬間だ、皮と肉の隙間を目掛けて、大量の鷺が飛んでいく。血管を流れる細胞を思い起こさせた。彼らのクァクァ、という鳴き声を聴こえてくると、僕らは家を出て、近辺で一番広い丘にテントを建てる。ぼんやり向こうを眺めていたら、眠くならないように、と言って、友人は溶岩のようにあついコーヒーを渡してくれた。 「よく、天体の何某が人の願い事に結びつくのは一体なぜなんだろう。なぜ星は願いを叶

白亜の日焼け

高速道路をじっと眺めていると、道路は血管のようだし、車は細胞のようにも見えてくる。はたまた、大量の棺が分別されてあっちに送り出されているようにも。 ふと思ったけど、この頃ずっと緑色に対する気持ちが強い。例えば化粧品のカウンターで話しかけてくれたおねえさんのまぶたや、高架下のフェンスに絡まってる蔦や、夜のマンションの通路がいいなあと思います。ささやかだけど自分の爪にも緑を塗って、1日の終わりに眺めている。しばらくブルーライトばかり目に溜め込んでいるから、やさしくていいね。

日詩(5月、6月)

2ヶ月分一緒に。また読みにくく雑なまとめ方で...さては読ませる気がないな? 一応、改行してないやつ(一部してるのもあるけど行数少ないので)が対象です。6月から改行してる詩もちらほら作っています。なぜか改行で作り始めると慎重になって、スピードがすこぶる落ちるのはなぜだろう。スピードと言えば、5月のペースは割と落ち込んでたみたいだ。疲れてるのかもしれない。と思いきや、6月はいつぞやのようにほぼ毎日ペースである。何か日常で掴み始めたのだろうか。自覚はあんまりない。 概念と

恋バナ

恋愛のことを一種の熱病だと思っている節があって、自分に恋愛というインデックスが挟み込まれているのかどうかすら危うい。CD売り場みたいにあいうえお順に並べてみても、「ルール」と「練習」のアーティスト名の間で居心地が悪そうにひっそりと混ざっていそうだ。仮に自分の中に恋愛の項目があったとしても、それは自分の内在的なものかつ実体験によって織り成されたものではなくて、漫画や小説、映画といったエンタメや友達がSNSでする恋人に関する投稿など、外的な要素によって蓄積された教科書的な頁なのだ

「今が楽しければいい」と思えなくなってきた

以下思うことをざっと。 毎度毎度ぐずぐずした記事ばかりでごめんなさいね。 春になってからずっとずっと、なんとなく苦しいんだ、暮らし方が。 これからぼくが大事にしなければならないのは、今まで以上に色んなことをよく考えることと、人と関わっていくことと、行動を起こすことなのでした。これまでも結構色んなことを考えてきたつもりだったけど、眠くなったら眠ればよかったし、手を抜きたかったらさぼってたしで、それはそれは易しいものだった。 ぼくはやっぱり、ぼくの生活を一番大事にしたいと思

きらきらの

天才になりたかった。天才だと思う人がまわりにたくさんいて、彼らに憧れていた。自分だって何かの分野で天才だと言えるものがあるはずだ。それを見つけられていないだけ、出会えていないだけなのだ。そう信じてやまなかった。でも、私がなりたかったのは、「天才でありたい」と思う分野で「天才である」ということだったのかもしれない。 例えば、私が今突然バスケットボールの才能に溢れていることが分かったとしても、じゃあ明日からすごいコーチに付いてバスケットボール選手になる!とはならないと思う。

2020/05/19

 影響を受けたり、勧められたりしてものを好きになると、それに触れるたび、その人のことを思い出すね。音楽を再生することがスイッチになるわけです。記憶は色んなところで結びつきあっていると思わされる。私が誰かに、それが好きだと話すとき、それを私に教えたのは誰だったんだろうなと、いやでも考える。良いことでもあり苦しいことでもある。 色んな人に好きな音楽や、おすすめの映画について気軽に聞いてしまうことがあるけど、それはその人の暮らしや人生、信条の一部を覗くことでもある。それに、カルチ

2020/05/17

時間を使うのが怖い。 何かをすることで時間が消費されるという事実がどうしようもなく嫌になって、自分にとって身になりそうだと思ったこととか、簡単にやり過ごせそうなことだけに取り掛かるようになってきている。そう思うようになるだけの年月がどれほど経ったのだろう。時間を今ほど気にせずに過ごしていた頃は、いつまでだったのだろう。 こういうとき私は、子供の頃の自分がいつでも羨ましくて、大人である自分が鬱陶しい。今だってやりたいことは山ほどあるのに、「この時間をどれだけ引き延ばすこ

2020/5/15

 たまにはちゃんと腰を据えて記事を書こうかな、と思って今夜はパソコンの前に座っている。実は、パソコンから記事を書くのは今日が初めて。いつもスマホで、しかも家にいるときにきちんと時間をとって書く、ということはしてこなかったので、ブラウザ上の見慣れない仕様にどぎまぎしている。いつもと違う文章ができあがるんじゃないかって気がして。それはそれでまあ、面白いかもしれない。  この頃思っていることがあって、それはやっぱりやっぱり、「書く」ということについてなんだけれど、「人に難なく読ん

2020/05/08

例え話は得意ではないが、自分の熱なんか、マッチのようなものかもしれない。点火した時が一番熱く光っているが、少し放っておけば燃え尽きる、マッチの火。煙草でも吸おうか、と言いつつ吸ったことはないんだけど、映画で観た、煙草を箱から一本取り出し、口にくわえながら、マッチを擦ろうとする動作が、文章を書こうと思ったときの気持ちに似ている。そしてやすりに擦れた先端が燃えたとき、きっかけが生まれていて、わたしは今これを書いている。 では、文章を書くということそのものはなんなのか。煙草を吸う

四月の人びと

四月につくったものをまとめます。例によって見にくいし、改行とかも整ってないですけど、自分用でもあるので、まあ、「こんな感じかふーん」程度に。 いっぱい書けましたね。 なんとなく、個人的に気に入ってる単語や表現があり、その上癖もでてしまって、こうしてまとめてるうちに、「またこの言葉使っちゃったな」とかときどき思います。自分から出てきている言葉だからそうなってしまうのは仕方のないことなのかもしれません。出来ることなら頼りすぎずにいたいものです。でも、一番は「自分が好きなものを

2020/04/22

 移動が好きです。もっと具体的に挙げると、空いている電車が好きです。いつも1時間くらい電車に乗って移動していたんだけれど、幸いラッシュ時間を免れているし、更には今こんな状況なので、全然乗っている人がいません。 それを抜きにしてもめちゃくちゃ混んでる電車に出会ったことがない(ありがたいことに)ので移動に対して苦痛を感じたことがあんまりありません。    この1時間でゲームしたり、本読んだり、目を瞑ったり、文章を書いたりしていることが日常的になった。幼い頃、自宅の最寄駅から目的