生きがいって何だろう


夜、久しぶりにいろんな本を読み返してた。

入社1年目のお金の教科書とか、今君に伝えたいお金の話とかおいしい人生を生きるための授業とか…。で、そういえばとちきりんさんの多眼思考も引っ張り出して読み返した。

その中の一文で、すごく、ハッとなるものがあってそれをツイートしたらちきりんさんからお返事がいただけたんだけども。そのおかげで(?)たくさんの方からのいいねがきて、みんなこの文章に思うことがそれぞれあるんだなーと。

その文章というのが

忙しい人生は嫌い。あたしは誰かに求められていないと自分の存在価値が確認できないひとじゃないから。超ヒマな毎日でも、十分に生きる意味も生きる意義も感じられる。


というもので。

誰かに求められていないと自分の存在価値が確認できないひとじゃないから


という部分が刺さった。グッサグサ。

今まで学生のアルバイトのときも周りの子たちよりは仕事ができてたと思ってる(たかがバイトではあるけど…ある程度の役には立ってたんじゃないかなあと思いたい)、今の職場でも嫌とか言ってられないから絶対やりたくなかったことも頑張ってやってきたしそれで結果も出せた。結果を出し出すのに伴って達成感とか充実感そうゆうのはないけど、もう5年は働いてるみたいだとかスタッフの方に言われた。


もちろん、お金を貰っているからその対価分は働かなきゃと思ってやってきたことだけども、たぶん奥底では仕事とかアルバイトをある程度やって結果を出して"役に立つ人間"だと周りから思われたかったんだろうな。親子関係が最悪だから他人に甘えるってことがわからなくて甘え方も忘れてしまったんだけど、その代わり頑張って頑張って周りから認められたかったんだろうなって。


自分のために頑張る ってよりも、他人のために、他人から認められるために必死にやってきて、もちろんそれを悪いことだと思いたくはないけども、それは自分の幸せからは遠くなっていってるよなって思う。

誰かに"いい自分"を見せること、他人に求められることを気づけば生きがいにしてて、そのために生きてた。自分と向き合うふりをしながら、自分の首を一番締めてたのは自分だった。そのことを認めたくなかった。そのことが、この文章を読んでストンって理解できた。

まずはわたしがわたしのことを認めてあげなきゃお話にならないよね。わたしがわたしのことを否定してたら幸せなんてやってきてくれないし、いいツキもやってこない。結局他人は他人なんだから。

大丈夫。人生はなにかを成し遂げるためにあるんじゃなくて、楽しむためにあるんだから。


別ページの文章。わたしはなにかを成し遂げたい!とかそんな大きな目標とか人生を賭けた目的とか、そんなものないんだけど、じゃあわたし人生楽しんでるかな?高校生の頃、毎日がキラキラしてたのは毎日1日が違う色をしていたから。明日起きることなんて予想できなくて、たまに友だちと本気の喧嘩をして、もうダメかもなんて泣いたりして、本音で語り合って、そんな毎日だったから。でも今は毎日が同じで、同じ電車同じ職場同じ人間似たり寄ったりな客、明日はなにがあるんだろうなんて、そんなときめきなんてなくて。それが大人になることなのかもしれないけど、それならわたしはずっと子どもでいたかった。そうだよ、人生は楽しむためにあるんだよ。

phaさんの、どうせ人生なんて死ぬまでの暇つぶしって言葉が大好き。


なんか、クソな職場のせいで人生終わりだ…なんて悲観的になってたけど、わたしまだ23だし!人生なんてむしろこれからだし!こんなとこで一生を終えないからな!っていう、いきなりの強気モード。


悩めるだけ悩め

時がきたらかませ

風まかせ

どっちみちいばらのway

俺らは大器晩成



悩んでメソメソしてる時に、大好きなcreepy nutsの新曲が最高で、これ聞いてまたメソメソして。どっちみちいばらの道ならば、自分が少しでも、自分を大切にできる環境に身を置きたいね。


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