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フレームワークから見るシン・エヴァの野暮さ
シン・エヴァの目的
結局あれはなんだったのかを考えつづけているんだけど、フレームワークを考えたら妙に納得がいったのでメモとして書いておく。
目的はエヴァを終わらせる(作品として)こと、ちなみにこれは結構失敗しているので非常に強くどうやったら物語は終わるのかをすごく考えてシンプルに実行している。
物語の終わりの構造
物語が終わることとはどういった状態を示すのか?
要するにみんなが目的を全部果たしたら物語って終わるよね。
これがシン・エヴァのフレームワーク。
だから単調な物語になりやすい、あなたは何がしたいのか→じゃあやりなさいと直結していく。両親を殺したやつはピストルで撃つし、やりが欲しかったら簡単に作る。
これが俺がみんながハッピーになったと強く感じていた部分で終わらせるというフレームワークから来ていたんだなあという非常に納得した部分でまあそうなってくるとやっぱりこの映画は野暮なんですよw
一方でカタルシスを非常に欲していた人々、終わりなきエヴァ地獄をさまよってインフェニティ化したエヴァファンにはクソ刺さっていたのを観測しているので、ある層にはカタルシスを提供してそれは結構たくさんいたっていう、まあそういうことなんでしょう。
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