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ペコパに感動し、そしておじリーグで思い出してしまった煽るという最高の遊び。
ペコパへのリアクション
ぺこぱの新しさ、まず前提として現代漫才の特徴としてボケの回数を増やすことがある、あのぐらいツッコミが喋り続けるとボケが足りなくなる。しかし肯定してボケを再利用することでツッコんでワンセットのところを何度も繰り返せる。ポジティブで楽しく新しい。
— nemui (@nemui3900) December 25, 2019
そもそもがボケというのはワードベクトル空間での距離をいかに気持ちよく離すかという作業で(遠すぎても近すぎても方向が違っても駄目)。ツッコミというのはその距離と方向の差分、要するにベクトルの違いの開示。
— nemui (@nemui3900) December 25, 2019
だからぺこぱのツッコミはツッコんでいないしツッコんでもおざなりで他のことを話し始めて距離を離す、さながらファミレスの女子の会話でそれが成立するという凄さ(始めてみた)。
— nemui (@nemui3900) December 25, 2019
去年はペコパによってポジティブのみの笑いを絶賛していた、
そしてこれが突っ込みとして最高の形ではないのかとさえ錯覚していた。
そう、錯覚してしまっていた。
おじリーグ3を見るまでは。
おじリーグ3紹介
どっちも同じなんで見てない人は好きなほうでどうぞ。
長いんでそこだけ注意ですが、映画を2本見たと思えばいけます。
気づき
おじリーグ3をみててそこで気が付いちまったわけです、
プロとして誰かを楽しませる分にはペコパこそが正解だと思います。
演者としては正解なんですよ、完璧に。
しかしコミュニケーションとしての笑いだとしたら絶対に成立しないし、
ただの不思議ちゃんでおべっか野郎に成り果てます。
そして何より本人は落ちの分かり切った演者です、どこまで行っても笑わせる側であり感情が高ぶる側ではなく陽動する側です。
しかしコミュニケーションとしての煽りあいは本人を含めた高め合いで双方向のリアクションであり、本気で向き合っているという証明で濃厚な時間でとても楽しいということです。
難しさ
自分の言葉を一期一句しっかりと聞いてレスポンスをくれる相手がいることはこんなにもありがたいことはない、要するにいい煽りは本人の承認欲求を満たし幸せにしているので、この要件だけでも正しく煽ることの難しさはわかってもらえるかと。
仲が良くないとこの煽りあいという関係性は成立しない、だからこそ一人一人の集客力は微力ながら集まって本気でゲームをするといういいおっさんが全力で向き合って作る真に正しい煽りあうコミュニケーションにはこれほどの需要が産まれているんだ。
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