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「ラジオの思い出」

「~学校」と呼ばれるものに、校歌はつきものです。
思い返してみると、高校や大学の頃にくらべ、小・中学生時代に歌った校歌と言うものが、いまだ歌詞をメロディに乗せて口ずさむことが出来る割合の高いことに驚きます。

一所懸命に取り組んでいた証なのかもしれません。
高校・大学と、年齢を重ねるにつれ恥じらいが生まれます。周囲との比較が、集団生活では不可欠な「無意識の同意」を求めるからです。
同意を破るという行為が、恥じらいや、しがらみを生む種であることを理解していくのでしょう。処世術のようなものです。

そのような背景にあって、私の小学校時代。算数の臨時講師で雇用されていた男性講師が、たくましい声で校歌を歌っていました。
体育館中に響くようなその声は、生徒らの間でも有名で、そこには幼いながら、確かな嘲笑の影がありました。

この講師と同じような年齢になって、さて私は彼のように振舞えるかと言えば、容易にうなずくことは出来ないと思います。
蓄積された経験に救われることもあれば、その経験によって即座に蓋をしてしまうような状況を作り出してしまうからでしょう。
孔子は「三十にして立つ」と言いました。独立するということです。独立するには、培った経験が必要になります。
男性講師は独立した結果、雇用されています。彼にも、彼なりに培った経験と言うものがある。しかし、その経験を度外視して、彼は体育館中に響くような声でもって、最後方から校歌を歌っていました。生徒たちを鼓舞するかのように。
そこにはきっと、意図したものがあったように思います。

出身の小・中学校の校歌の歌詞には、「背振山」の文字がありました。
福岡から佐賀をまたがるように聳える背振は、福岡県民にとって象徴的なお山であるように思います。
標高は1,000mほど。登りやすく、シーズンの週末ともなれば、著名な登山口は混みあいます。富士山のように、いくつかのルートがあるのです。

去年の五月。東京に拠点を移した私は、福岡へ帰省していました。
帰省のタイミングで、にーとさんを登山に誘ったのです。
当初は、九重に登る予定を立てていました。にーとさんが事あるごとに、九重登山のお話しを、しみじみと語っていたからです。
しかし誘いの電話をしてみると、「それなら、背振に行こうよ」という予期せぬ回答で急遽、背振山に変更となりました。

当日は私の車でにーとさんを迎えに行きます。
二人ともお昼を食べていなかったので「牧のうどん」で済ませ、さて登山口を目指す道中、にーとさんを腹痛が襲います。
近隣のホームセンターで小一時間ほどのトイレ休憩となり、普段は見もしない工具用品を見る羽目になったわけですが、意図しない予定変更に慣れていた私は、童心にかえるように、数多あるクギの形状や大小を楽しんでいました。

さて、トイレ休憩も終わり、いよいよ登山ですが、登山そのものは難なく終わってしまいます。
都市伝説に「あがり人」というものがあって、「山で全裸の、言葉もままならない原始的な人間を「あがり人」と言うらしい。
この辺から出てきたら怖いよね笑」なんて話を、にーとさんが嬉し気に語っていたことを記憶しています。どうしようもない、登山です。

しかしこの登山で、にーとさんがラジオを、地元の友人とやり始めたことを知りました。地元の友人とは、いとくずさんです。
私は東京に帰ってラジオを聞き始め、二人の独特の雰囲気に魅了され、面白かったことを報告しました。すると、「じゃあ、お前も入ってくれよ」ということで、今があります。それから早いもので、一年以上も経ちました。

このnoteも、にーとさん依頼によるものです。
「noteって知ってる?一応アカウントあるんだけど、今度書いてくれない?」そんな一声で、私はこうやって栄えある一稿目書き始めています。

ラジオや、このnoteもそうですが、カッコよく言えば創作活動です。
創作活動には、創作意欲がつきものです。意欲は、目的によって成り立ちます。
しかし、我々のラジオに目的はありません。なぜなら、飽くまで創作活動は確固つきもので、活動と言うより遊びという表現が相応しいからです。
とは言うものの、遊びであれ、毎週末欠かさず投稿出来ているという事実には、不思議なものを抱きます。
私は参加しているだけですが、にーとさんやいとくずさんが、編集から話題の立案、取りまとめまで行ってくれているのです。
にーとさんは「編集は俺が楽しいからやってる。だから、大丈夫」と言いますが、裏の事情は知る由もありません。
体育館の後方で、生徒を鼓舞するようにたくましく歌っていた男性講師が思い返されます。

私にとっての「ラジオの思い出」は、ラジオという枠に当てはまらないものかもしれません。
仕事や義務感の先にある、「大人になって出来た友達と何かを作り上げる」行為そのものであるように思われます。

筆:アポロン
PS:ショパンのノクターン第2は、良いものですね。Youtubeにゴッホの「星月夜」の背景と共に流しているものがありますが、
ゴッホは自ら耳を切断する程に、精神が病んで、最終的に拳銃自殺してしまいます。亡くなる一年前の作品ですが、彼の見た星月夜とピアノの悲哀に満ちた旋律が見事に調和していて、感傷を誘うものです。この絵のために作曲されたものであるように錯覚してしまいます。

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