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声優を目指したことがある

私は、小学6年生の時に「声優」という仕事に興味を持った。ちょうど、声優ブームが始まる頃だった。当時の好きな作品が「サムライトルーパー」。その同人誌に声を当ててラジオドラマを録ったりして遊んでいた。

中学1年生の時、文化祭で劇班の役者として舞台に立ち、すっかり舞台沼にはまってしまった。それから3年生まで劇班で役者をやって、高校は演劇部のある学校を選び進学。1年生の大会では音響効果と役者、2年生の時の大会では脚本と役者をし、3年生の時、主要キャストとしてついに大会で3位入賞。大会で上位入賞を狙う演劇部は、みんな向上心があり、とても居心地が良かった。

高校を卒業するときに就職しようか、専門学校に行こうか悩んだが、若い時に何でもやっておいた方がいいという意見や、お芝居を学びたいという気持ちも大きかったので、専門学校に通うため上京した。その時は地元に戻るつもりがなかったのでちゃんと転出届を出して、東京都民になった。

クラスメイトとも仲良くなり、授業も楽しく、充実した日々を送っていたが、たった一つ心配なことがあった。上京して2か月、ずっと下痢が止まらなかったのだ。
おかげで痩せることはできたが、脱水しやすいため、常にスポーツドリンクが手放せず、毎日1リットルは飲んでいた。もしかしたらそれもよくなかったのかもしれない。

2か月を過ぎて異変が起きた。
鏡で自分の顔が見られなくなったのだ。歯を磨くときも、顔を洗うときも、鏡の前でうつむいたままの状態が続いて、下痢もまだ止まらなかった。
5か月ごろには鏡の前でうつむいたまま剃刀を手にしてブツブツ言うことも増えた。そして抑うつ状態となり、学校に行けなくなった。抑うつ状態になった原因は腸の調子がずっと悪かったからだろうと思う。ただ、その原因はストレスなのか、何かが合わなかったのかわからない。その時は10代であったことと、何も考えられない状態になっていたため、実家に戻ることになった。

ちなみに、学校の成績はよかった。友達もいた。授業も楽しかったし、観劇もして、みんなでワイワイ楽しく過ごした。
一緒に卒業できなかったのが悔やまれる。でも、どうすることもできなかったので仕方がない。
それを受け入れるまでにかなり時間がかかった。

しっかり基礎だけは学んだので、その後小学生に演劇を教えたり自主公演をしたり、地元ラジオ局のラジオドラマや市民参加舞台に出演することもできた。
今はあこがれのラジオ的な感じでツイキャス配信をやっている。(閲覧者なしでもひたすら話し続ける)
アーカイブに録音している感覚でやっているので、私の独り言をお聞きになりたい方は、ぜひツイキャスをのぞいてみてくださいw

声優にはなれませんでしたが、授業で「たこやきマントマン」の、たこ焼き屋のおばちゃんに声を当てました。あと、「赤ずきんチャチャ」のドロシーちゃん。
ドロシーちゃんは口パクなしから始まるので合わせるのがとても難しかったです・・・
懐かしいな・・

今は、大人演劇部で演劇に少し関わらせていただいています。舞台とか演劇って沼だな・・・と改めて思ったりしています。

プロの声優さんになることは病気のため挫折してしまいましたが、細々と何かしら続けております。継続は力なりとよく言ったもので、細々とでも続けていれば少しは成長しているようで、誰もいないキャスで30分しゃべり続けられるほどになりましたww
テーマトークとなると、WEBラジオとしてちゃんと台本も作ったほうがいいのかなと思ったりしています。

そんなこんなで、声優を目指して一歩踏み出したこと自体は悪いことではなかったなと思えるようになりました。
背中を押してくれた両親にも、悩んだ結果上京を選んだ自分にも感謝できるようになりました。
その時の経験は、その時にしかできなかった経験なので。


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