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あれから半年

最初に
2024年元旦に起きた能登半島地震から半年が経ちました。
6月に写真を撮る機会をいただき、半年経った奥能登を撮影しました。
正直、伝える言葉も見つからずSNSでの発信は躊躇していました。取材に同行していると、現地の方はみな忘れないで欲しい。現状を伝えて欲しい。とおっしゃっていて、やはり写真だけでも出すべきと考えました。
賛否両論あるかと思いますがここに残し、写真から一人一人今何ができるのか、何ができないのかをほんの少しでも感じてもらえたらと思います。1日も早い復旧を願っています。

七尾市

事前に、現地で被災している仲間から情報をもらって、輪島に入るとお店はあまり無く、飲み物や食料の調達は復旧作業をしている方やボランティアの方々の迷惑にならないように七尾市で調達して行く判断をし七尾市に入りました。

実は4月にもイベントのお手伝いで七尾市を訪れたのですが、道路のヒビ割れや壁がはがれていたりは2ヶ月経っても変わっていませんでした。

4月


6月


それほど
深刻なエリアを優先に作業をしている
そう思わざるを得ません。

七尾市から輪島市へ

輪島市へ近づくと道路は元の高さがわからないくらい波打っていて


左右の山々は崩れていて、

復旧作業は命懸けです

集められた土砂

抜けたガードレール
車線は左右に目まぐるしく変わり
標識も曲がったまま

輪島市に入り、伝統調味料の魚醤(いしる)を作り、いしるを使った干物などを生産販売している舳倉屋(へぐ らや)さんにお伺いしてお話を聞きました。

いしる
山が崩れ土砂が工場の変電設備を押しつぶしてしまった
道路には臨時の水道管

道路に水道管を設置をしてくれたものの、家の中の水道管が破損していては引けないのでその検査や修理で水を引くのに時間とお金がかかったそうです。電気も同じ。

工場は建物に鉄骨が入っていて崩れることは避けられたが、近くにある店舗は1階部分が木造で崩れてしまった。

近くの家屋も

電柱も危険な状態で
お忙しい中、舳倉屋の岩崎さんが現状を説明してくださいました。
地震で地面が隆起して海から出てきてしまった岩
舳倉屋さんのいしる。地震の被害は免れたものの魚醤が混ざってしまい、商品にするにはまた長い月日がかかるそう。
この店舗は全壊で取り壊す事が決まっているので最後に看板前でご夫婦を撮らせて頂きました。

舳倉屋さんを後にし、輪島市朝市へ
途中の街並、あじさいがきれいに咲いていました。

朝市に入ると、地震の後の火災の怖さを思い知りました。
鉄のサビや雑草の背の高さなどで月日の流れを感じます。



テレビ等で報道された五嶋屋さんは建物が根元から倒れていました。
震災後野良猫が増えたそうです。
輪島道の駅に移動
仮設住宅がたくさんありました。
4月にお話を聞いた方にもう一度取材させていただいているところ
七尾市七尾駅前のショッピングセンターパトリアの1階に震災で飲食店ができなくなってしまったお店が屋台村にて営業を再開
穴水町の居酒屋ゆうちゃんも復興に向けて動き出しています。
パトリア
パトリア
パトリアでは相談窓口が

7月1日にたくさんのニュースで現在の様子は取り上げられていました。
でも関東ではニュース等で取り上げられる回数も減っているな。と感じました。
お話を聞いた方の、逃げない、生き様を見て欲しい。という言葉に自分は何ができるのか、考えさせられました。撮らせていただいた写真を現状をお伝えして忘れない事。これも大事なのかな。と思いここに残したいと思います。

がんばれ能登

ありがとうございました。

尚、貴重な機会をいただいた
田村淳の大人の小学校に感謝申し上げます。

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