消費者になりたくない

 姉がリビングのテレビで録画した関ジャムを見ていた。私は珍しくイアホンを外したままで夕食を食べながらそれを後ろから眺めていたら、ある違和感に気付いた。倍速だったのだ。音楽番組で倍速てそりゃないでしょうあなた。別に何も言わなかったけど。その後姉は同じく倍速でコナンを見てた。また何も言わなかった。
 姉は関ジャムとコナンを消費した。ただ消費して明日には形も残ってない。個人的に関ジャムは私の好きな音楽番組ではないが、そこに携わったクリエイティヴィティーは否定しない。コナンも最近のマーケティングの方向性の善し悪しに言及する気はないが、やはりそこに在るクリエイティヴィティーに罪は無い。合理的な効率化に舵を切れば切るほど、神はそこから離れていく。と思う。多分。「神は細部に宿る。」という言葉を残したのは確かオランダ出身の建築家だった。細部に拘るという行為自体、コストがかかる為に資本主義社会の中では真っ先に切り落とされる部分だろう。資本主義とクリエイティヴィティーはそもそも相容れないのかもしれない。

 人と人でも、人と芸術・創造物でも、片方がもう片方を都合良く使って消費するシステムが嫌いだ。そんな事言ったって私もコンビニにエコバッグ持っていかなかったり歯磨きする時に水止めるの面倒がってたりするけど。消費者になりたくない、私は。

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