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コーヒーカップで麦茶を

私の実家には、たくさんの皿とコップがあった。
大昔からの田舎の家なので、法事や親戚事があると大量の飯と大量の酒が用意された訳で、たくさんの皿とコップは、それらを飾るものということだ。
その為、社会人になるまで皿を購入したことがなかった。

んで、ここ数ヶ月、私は気分を一新する為、皿やコップを集め始めた。といっても、上等なメーカーのものは手を出せない。その前に、触った瞬間に壊しかねない。
そんな訳で、もっぱらセリアやダイソーなど、安価な大量生産製品縛りをしている。
例えば、このコーヒーカップとオーロラグラスと、2枚のソーサーとして使ってる2枚の小皿。

愛用してるコーヒーカップとグラスと小皿

もしかすると、カップや皿を熟知してる人が見たら、ぼちぼちな印象に止まるかもしれない。
が、大量に陳列された中で「あ、いいな」と手に取った瞬間の手の収まりと、その光の当たり方は本当に愛嬌があって、詰まるところ虜になってしまったのだ。

買ってきたものをお湯にしばらくつけて、それを濃いめの洗剤とお気に入りのスポンジで丁寧に洗い込む。
一段とピカピカになったそのコップを、乾いた布巾で拭いて、そこに雑にインスタントコーヒーを入れる。
普通の事。毎日の出来事の一部ではあるけど、その毎日の本の一瞬でも「良い」と思う瞬間があれば、嫌な事も辛い事も、全部「御の字」になると思う。そういう、儀式というか、弦担ぎ的なおまじないも、大切なものだと思う。
それの要になるものが、このコップと皿だ。

毎日を、毎日。同じようなルーティンと時間を、毎日毎日繰り返すのは、大変なものだ。
そこに、嫌なことが一個、一個、一個と積もっていったら「毎日」は「嫌なもの」になっていくのだと思う。
でも、その「毎日」に、一つでも「良いもの」が混ざったら、嫌なものでも「まあええか」になって、そうやって「嫌な毎日」も「良い1日」になるのではなかろうか。

ただまあ、物事には必ず飽きがくるものだ。
次の買い出しの日に、少しだけ上等な紅茶を購入しようと思う。
同じ毎日を繰り返すのは、私にとって強烈な苦痛ではあるけれど、少しでも良くしていく。
そういうもの、大切なことだと思う。

おやすみなさい。

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