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山の向こうから季節がやってくる

遠くの山が、白くなった。
11月は中旬。いよいよ冬の季節だ。
冬が来たならば、おそばにおうどん、おもちにお鍋に…色々と忙しい季節も近い。
クリスマスは…無いものとする。

私が幼少期の頃に越してきたこの地域は、山の中、と言うより、山にある。
少し買い物に行くにも、山を下って登るようなものである。
山が好きかと言われたら、どっちかというと嫌いだ。
熊や猿や虫が大量に出る地域は…どうも苦手だ。

山が白くなるのは、気温でなんとなく察しがつく。
「寒い」が「刺すような寒さ」になった夜、次の日には砂糖をこぼしたような山が見れる。
コーヒーを飲みながら見るその姿は、季節の移ろいとその一瞬の美を体感するような、特別な感覚になる。美術館にいる時の感覚に近いのかもしれない。
一度、別の土地に住み、そこから戻ってきた今だからこそ、ようやっとその美しさを特別に感じるのかもしれない。
それこそ、気付きであり、人生の遺産になるのではなかろうか。

冬、いや、世間が賑わう時期は嫌いだ。
桜の季節、海と祭りの季節、収穫祭の季節、新しい年の始まりの季節、それを祝い楽しむ事は、生活を営む上でとても大切な締めくくりであり、楽しみだ。
しかし、一度でもその素晴らしさよりも、明日が来る事の恐怖に潰された私は、それを純粋に楽しむ事が出来ない。それよりも、明日が今日よりも生きやすい時間が流れれば、それでいい。それだけなのだが、それがどうにもうまくいかない。
そうして、気がついたら数年が経過していた。

今、目の前の窓には、遠くの山が見え、白く変わっていく様が見えている。
数年前の私がそれを見たら「ああ、この出勤に意味は無かったのだ」と思うに違いない。
今の私がそう思うのだから、きっとそうに違いない。
しかし、今、コーヒーの香りをゆっくりと楽しみながら、このスローで「いつも」の時間を楽しめる事は、価値があると思う。
それでいいと思う。お金にも何か特にもならないものだとしても、それを「良い」と思たなら、それは価値のあるものなのだから、それでいいと思う。

明日は、カフェオレをゆっくり飲もう。
そして、ゆっくりとやることをやっていこう。
そうしよう。

おやすみなさい。

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