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ひとり

孤独とは常に、陽にあたって地面にのびる影のように、ずっと一体だがひっそりと自分の中に隠れ潜んでいるようにみえるね 孤独とは自分勝手なヤツで、孤独になりたくてもなれないときがあるし、逆に唐突に孤独はやってきていつも見て見ぬ振りしてた不安がいっきに押し寄せて死にそうになってしまうこともある。 小さい頃、学校終わり家に帰り親がいないリビングでおもいきり熱唱する時間が何よりも至高だった。 親元で自由を渇望し、親元はなれて孤独に怯え、恋人家族をつくりまた自由を渇望して、旅に出て、

    • あわだまがはじけて溶けていく

      わたしという にんげんは 小学6ねんせいごろであったか ひとりっこで、がっこうでもひとりだったから、兄という存在に強く憧れを抱いておりました どんなときもわたしの頭を撫でて守ってくれる背中と大きな手にあこがれていた。 学校ではいじめられ、いじめられるからいじめられている子をいじめればいつか上に這い上がらせてもらえるだろう、なんてごみみたいな腐ったこともしていたころだった あの子の、「うらぎったの、ありさちゃん」という顔が、いまでもわすれられない よわいものいじめを肯定し

      • ラオスへ行く飛行機を逃す女

        こんにちは、フライト逃し女性といいます。 経緯を説明しよう。日本からベトナムへ飛び、ベトナムからラオスへの飛行機に乗り換えるときの話だ 日本からベトナム、このときLCCの激せま空間の中、隣の席がかなり太った女性で、後ろも壁なのでリクライニングもできず、5時間ほど押しつぶされていたのだ。おまけに女性はいびきがうるさく、遠くの席の西洋人が舌打ちし睨みつけていたほどだ。真隣の私というと、ノイズキャンセリング付きのヘッドホンでメタルをMAX音量で聴いていたのにイビキremixに余裕

        • ラオス旅前日 備忘録

          私にとって旅とは己を俯瞰する行為である。日常的に見慣れた鏡の前の自分の容姿だけでなく言動心情全て、慣れていけば客観視もできず、インプットの管の直径は怠惰の蓄積によって狭まり詰まっていく。そんな気がするのだ。 しかし俯瞰とは孤独な行為なのだ。寂しいんだ。 出発前に書いた絵を人に見せたら、ウキウキで旅に出る人の脳内ではないねといわれた。そりゃあバカンス気分で出るものではなく試練だからそうなのであろう。などなど。 私はどうしても自分から抜きたい毒がある。 固執と執着である。

          22歳旅 バカ短いマレーシアトランジット

          現地1/3、クアラルンプール国際空港に着く。ぞろぞろと列が進んで、飛行機の中では別々に座っていた友達と合流。 トランジットだが出国?が勝手にされていて空港を出るとショッピングモールが!なんだこりゃあ!!忘れてて欲しいと思ってたシャツとかも買えそうなかんじで、H&Mとか色々入ってる。 とりあえずまずは腹ごしらえ、というか街に出るほどの時間の余裕はなさそうだったのでショッピングモール内のテキトーなフードコートみたいなところでうまそうなローカルフードを注文。チキンライスにした。ソ

          22歳旅 バカ短いマレーシアトランジット

          22歳インド旅 日本出発してすぐ飛行機の中の手記

          2024年1月3日 日本時間15:26どこかの空の上___。 あと2時間でマレーシアクアラルンプール国際空港につくってところだ。 相方ののんでぃーとは席が全く別で離れているので初っ端フライトからロンリーロンリーだ。彼女は今頃私が勧めておいた映画でも見ている頃だろう。 のんでぃーは1ヶ月のヨーロッパバックパックを終えたばかり、彼女とは正気特別仲良し!ってわけでもなく、クラスメイトというか中学時代仲良くしてくれた女友達の一人ってかんじだった。 ・・・どこか運命的にうまがあって

          22歳インド旅 日本出発してすぐ飛行機の中の手記

          22歳インド旅 出発前夜 手記

           2024 1/3 日本時間 15:26  どこかの上空 あと2時間でマレーシアクアラルンプールに着くところだ___。 インド旅、それは私にとって小さい頃の憧れであった。 私の両親はヒッピ〜でパンクでロッキ〜ロッキ〜といった具合の人たちで、私が母の腹の中でぐだぐだやってた頃から、音楽、映画・・・たくさんの刺激を与えてくださる鬼人夫妻であった。 埼玉生まれの母のメールアドレスはtabinchu…から始まる酒&音楽大好きな旅人海外かぶれ女。 父はカナダ系イギリス人、スコットラ

          22歳インド旅 出発前夜 手記

          フリルのついた暴力

          月曜の夕方、時計を見れば定時。 都内会社員の私は必ず週に五回、夜の六本木でドレスを着て仕事をする。 シールだらけのノートパソコンをぱたっと閉じ メルカリで買ったばかりの赤のビジューのドレスの入った紙袋を持ったとき。 「少しだけ、いいか」 上司と面談して、ざっくりいうと、私はクビを言い渡された。 理由は会社の景気が停滞気味なのと 新卒の私を教育する時間や工夫がとれず、、など 会社での立ち回り方も知らなくて教わるのをずっと待ち続けたのは自分の敗因。窓際社員を極めてやってい

          フリルのついた暴力

          今年上京してきた服飾学生19歳児のお気持ち表明

          こんなご時世なんだから、オンライン授業で満足いかない学生なんて腐る程いるわけで、美大生のように実技メインの学生は特に不満を抱いているわけで。 そんな中、コロナの影響で遅れて上京し、某服飾専門学校の学生となった私は、わずか1ヶ月であらゆるモヤモヤをため込んでついに退学を決意し深夜テンションで地方の市立の美大を受ける覚悟を固めた。甘ったれている。 元々美術が好きで、高校も美術工芸専門の高校に通っており、デザインを専攻していた。大学へ進学した先輩の作品に対する憧れもあったのだろ

          今年上京してきた服飾学生19歳児のお気持ち表明