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シンエヴァみてきました(備忘用まとめとか)

ネタバレありです




いやー、エヴァなのにまっとうな映画でしたね!

・経緯
中学生ぐらいのときに劇場で序を見た覚えがある。破とかQはどうだったか覚えてない(Qはアマプラで見た)。アニメシリーズはなんとなく見た気がする。シン鑑賞前日に旧劇場版を見た。
エヴァ自体はそんなに思い入れはなくて、破が一番よかったと思う。

・シンは卒業式、葬式映画
『仮面ライダージオウ OverQuartzer』が平成ライダーのお葬式映画だったように、『シン』はエヴァンゲリオンのお葬式映画であり、25年間エヴァを追ってきた人がエヴァから卒業するための卒業式映画なんだとおもいます。だから、
■ゲンドウとシンジが戦ってわかりあう
■ミサトがいままでのアレな行動の責任をとる
■いろんなことをちゃんと言葉で説明する
というようなことを明示的にやってる。徹底的にいままでやられてなかったことをやって(『OverQuartzer』でいうG,漫画クウガ,ノリダーあたり)、オタクくんに全部開示した上で、このコンテンツはもう終わりですと宣言する。槍で貫きゲリオンする。セットまで解体してシャッターを下ろす。「虚構の世界はおわり、これからはエヴァのない世界で元気にやってこうね!それじゃ!」って。親切な描写だなあ。(腕だけゲリオンとか発電ゲリオン、わりと溢れ出した平成ライダーみがあったな)
旧劇ではオタクくんが嫌いすぎて、あんな露骨な感じでブン殴って終わりになったけど、今いろいろ経て、ああいう晴れやかな感じの終わり方にできたんでしょうね。

・庵野がエヴァから卒業するための映画でもあるのかも
最後の部分の碇メンタルクリニックパートで、願望を暴露していくうちに勝手に納得して終わるゲンドウなんですが、要約すると「ユイにあいてー一心でいろいろがんばってきたけど、ほんとはユイといた時の幸せをまた感じたかっただけで、でもそれはシンジっちゅうユイと自分の子供が成長してきたことで実感できた」って話だったとおもうんですけど。
これ、もしかして庵野監督とエヴァの関係なんじゃないかなとも思うわけです。
旧劇のときは自分の作ったエヴァがオタクどもにバカうけして巨大コンテンツになりすぎたのが嫌!ってなって「はい終了終了!エヴァは終わり!解散!」ってヤケっぱちになって、半ばエヴァが嫌いみたいになってたんだけど、
その後もエヴァはそのままクソデカコンテンツになりつづけ、フォロワーもたくさん生まれて、最終的に新劇場版がはじまって。25年もエヴァとともにある人がたくさんできて、それを受け止めてやっとエヴァのことを真正面から好きになれたんじゃないですかね。
エヴァから生まれたもの、エヴァが生み出したものが立派に成長して、世界に存在する姿を見て、ようやくエヴァを終わらせることにした、というか。
完全に妄想ですが、なんかQつくったあと鬱になってたみたいな話しも聞くし、旧劇と新劇を見比べるとそんなことを思うわけです。

・「オタクくんに見せつける現実」の対比:旧劇の巨大女性器綾波と、シンの赤ちゃん
旧劇とシンを連続で見たのでどうしても比較が両者になるのですが、「童貞はソープにいけ!」とばかりに女性器やオッパイをバカスカ出してきた旧劇は、エヴァを追ってきたオタクくんに見せつける現実の象徴として、それを使っていたような気がします。セックス関係の描写多かったし。お前らの思い描く綾波やミサトさんはリアルじゃねえんだよ!女を抱け!現実に帰れ!みたいに、乱暴に無修正巨大女性器綾波を出していく。
対してシンでは、綾波が赤ちゃんに接する場面とか、ネコが出産するとか、そういう描写が第三ムラのシーンで何度も出てくるし、カジさんとミサトさんの子供がでてくる。オタクくんが帰る現実は、リアルの女を抱け!というだけではなく、そこから子供も生まれるし、もっとたくさんの他者がいるよね、という描き方になっている。第三ムラでシンジくんが友達とか、綾波アスカミサトさん以外の人に「ようやったよ」みたいな感じでケアされていくのとも重なる。
旧劇では単に「リアルの女を見ろ!現実に帰れ!」とわめいてただけが、シンでは「リアルの人間の間で生きていって、生まれるものもあるしケアされることもあるよ。だからリアルでこれからもがんばってこ?」みたいな雰囲気になっている。
だから、ラストが少し陳腐な、というかどっかで見たような感じになってても、それはある程度仕方がないのかな。

・震災の影響を感じる:現実にある破局、それでもやっていく人類
なんというか、時期がらもあり、東日本大震災の影響を感じるわけです。特に第三ムラのあの感じ、ニアサー(ってふうに略されてるのもそれっぽい)って破局を迎えてからも、それでも人間はなんとかやってくよ、という描き方とか。
災害・異常気象・疫病・経済危機。破局は現実にあり、それを受けても人間はなんとかがんばって生きている。その現実を受けて虚構の中で、人類が全員死ぬ、みたいな1か0かの破局をリアリティをもって描くということは、難しくなってしまったのではないでしょうか。
だから、令和の世でエヴァを描くとしたら、こんなふうにしかならなかった、という気もします。

・なんにせよしっかりお別れできたのはすごいこと
20年以上続いてきて、コアなファンをめちゃくちゃ抱えるコンテンツの終わり方として、とても爽やかで良かったのではないかと思います。
作者が死んじゃったり、企画が消えたり、続編がソシャゲになったりとかして消えていくコンテンツもあるなかで、原作者によってきっちりと、エヴァが終わったのはとても素晴らしいことなのではないでしょうか。
自分が一生追ってるコンテンツ(ポケモンとか)に置き換えると、そんなことを思うわけです。

・以下、箇条書きです
■でもロボットバトルっぽいケレンみのあるバトルはもうちょい見たかったなあ
■最後のシンジ対ゲンドウの、セットとか出てくるあたりの演出はめちゃくちゃよかったです。特撮!!という感じ
■サクラちゃんが話題ですが、彼女が出てきてエヴァ及びシンジくんと、その被害者たちという関係にもある程度決着が突いたのではないかと思います(加害者だけど恩人でもある、と被害者側から明言する)
■結局シンジ・レイ・アスカに必要だったのは適切な大人との関係だったんだよね、というのがしっかり描写されてましたね。ケンケンとかマジで格あがったキャラじゃない?アスカには彼みたいなのが必要だった、というのもよくわかる描写。
■シンジにアスカがレーション食わせるシーンとか、なんとか生きる方向でやってかなきゃならんのだよ、という意志を感じる。それがシンの特徴なのではないかな。
■ペンペンの仲間が出てきたの、初じゃない?
■巨大綾波の天丼にはマジで笑った。
■ゲンドウが脳みそ集めるシーン面白かった。いらないでしょそれ
■最後マリと青い海、エヴァが終わらなきゃできない画面でよかった。青い海ってそうだよね。
■宇部新川駅…
■ミサトさんがちゃんと責任を負うって明言したのはアツかった。アイツいままでシンジくんを選択の余地ない状況に追い込んでから「あなたが決めるのよ」みたいなクソずるい態度とってたしね。最後もふくめて、ミサトさんの精算だったという側面もあるのでは。
■同時にゲンドウの精算でもある。子供たちはマジで今までがんばってたから、最後は大人が精算して終わるべきだよね。
■マリ、結局なんなの?

いじょうです。


サウナに行きたいです!