焼肉警視総監への道 完走した感想など

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完走した感想

 焼肉きんぐ100回訪問達成につき警視総監に就任しました。最後の方駆け足になってしまいましたが、来年行われるオンライン麻雀大会の賞品として昇格特典の景品を出すことにしたので年内に終わらせました。いきなりステーキダイヤモンド会員に続く100回企画。昨年からひたすら肉、肉、肉!坊主として恥ずかしくないのかぁっ!とお叱りを受けそうですが、 「露ほども! 恥ずかしく! なぁいっ!!」のであります笑

仏教と肉食

 仏陀の死因は豚肉の食中毒であったとされます。信者から施しを受けて生活していて、信者の中には狩猟を生業としていた方達も居たのですから、肉が振る舞われることもあったのですね。豚肉はよく焼いて食べましょう。仏陀と豚からの約束です笑

 仏教で肉食を禁じるようになったのは、インドから中国、日本に伝播した大乗仏教においてですが、大乗仏教の僧侶として、初めて表向きに肉食妻帯を行ったのが、浄土真宗の宗祖親鸞でした。浄土真宗では親鸞以来の伝統として肉食妻帯を禁じていないのですが、明治五年(一八七二)四月の「僧侶の肉食妻帯勝手たるべし」の太政官布告以降、他宗派でも公然と行われるようになり今に至るのであります。生臭坊主と揶揄されるかもしれませんが、一部の過激な菜食主義者が暴動を起こした事件や、結婚を禁じられた聖職者による性的虐待の話を聞くに、「な、これで良かったんだよ」という思いを隠せません。

 「食物に感謝を」という話は皆様何度となく聞かれたことでしょうから、少しだけ坊主らしい(?)話をさせて下さい。生きている人間は、命を投げ捨てろと言われて、とても出来るものじゃありません。愛する人の為なら出来るという人もいるかもしれませんが、会ったこともない誰かの為に出来るという人など誰一人いないでしょう。

 しかし、食卓に並べられた肉や魚や米や野菜。彼らも間違いなくそれまで生きていて、今まさに会ったこともない誰かの為に命を差し出しているではありませんか。およそ感謝という言葉では足りない、とてつもなく尊い行為であります。

 人間に生まれたが故に分かりづらくなっているだけで、生命は死んで終わりじゃないのです。むしろ死んでこそ、生命のサイクルの中で命の源となって、また新しい命と生まれ変わる。命の源にとっては、善悪も優劣も無い。全てが尊い存在であります。

 昨今の日本人は無宗教とも言われますが、亡くなった方のことを、「仏様」と呼ぶ風習は未だに根付いています。仏様とは悟りの境地に至った存在。命に善悪も優劣もつけず、全てを尊いとみなす存在。死んだら仏様というのは、実は単なる慣用表現では無かったんだよという話を、この場を借りてお伝えさせていただきました。南無阿弥陀仏。

今後の予定

 先月お伝えした通り、「チュルリラ」の4Lメニュー制覇を考えています。更には今月「スパゲッティーのパンチョ」博多店がオープン。こちもデカ盛りメニューを制覇していきましょう。来年はパスタでキングを目指します!

 とはいえ、流石に節制もしていかなければなりませんね。本日夢の中で、何故かマツコデラックスさんから、「アンタもやばいわよ」と言われました(こんな具体的な夢を見たのは何年振りでしょうか、超余談ですが、パンチョは一時期、トッピング全乗せを「マツコデラックス盛り」と呼んでいた時期がありました。)。来年は当企画以外の外食は本当に自粛することにします。その分麻雀に励むことにしましょう。それでは皆様、これからもよろしくお願いします。

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