ネマタの「裏」麻雀本レビュー第18回『夜桜たま×朝倉康心に学ぶ現代麻雀』その6

第三章 副露

①ネット麻雀なら

 「副露」とはその名の通り「露にする行為」。プロデュース業で言うならば、副露はアイドルが脱ぐこと…品の無い喩えで申し訳ありませんが、麻雀では4副露して手牌1枚を残して全てが露になることを、まさに「裸」と言うのであります。

 手組で真ん中の数牌をキュート派、字牌をセクシー派と申しましたが、真ん中の数牌をかき集めてメンゼンリーチを目指すのが清純路線。脱げばアイドルデビューは近づきますが、清純派としてデビューして宣伝広告(リーチ)の恩恵を受けることができなくなります…生々しい話で申し訳ありません(笑)

 清純派としてアイドルデビューするなら、素直で愛嬌があれば広告(リーチ)の力で何とかなることも多いですが、セクシー派としてデビューするならファンを魅せるだけのプロポーションの良さ…つまりは手役が必須。ネット麻雀なら相手の顔色は気にならないと言っても、アイドルの力量(手牌)とファンの顔色(ツモ山)はうかがいましょう。魅せポイントが何もないのに脱いでも恥ずかしいだけでファンはついてきません。

②副露のバランス

 ようやく副露の話に入ったかと思いきや、いきなり「副露は入り目がバレる」という話から始まり、最も肝心な「副露によって和了に近づく」という話が抜け落ちています。リーチの話の時も他家の挙動や他家にリーチされる話ばかり。相手に見られることを意識してしまうのはアイドルとしての性かもしれませんが、意識すべきは第一に手牌、第二にツモ山、対戦相手は三の次です。

 バランスが大切と言いましても、具体例が出てこなければ何も言っていないに等しいというもの。4副露が裸なら、2副露は水着。水着になるくらいならすぐにデビューできる状態(聴牌)か、更に脱ぐ覚悟があるくらいの抜群のプロポーション(高打点)のどちらかは欲しいですね。

③仕掛け

 仕掛けとは副露の別名。アイドル業的には色仕掛けかもしれません。4副露が裸で2副露が「水着」なら、1副露はパンチラで3副露はトップレス。またしても品の無い喩えですが、「1副露するくらいならメンゼン」「1副露と2副露は大差ないが3副露以上は覚悟が必要」ということです。

 画像の手牌はリャンメンがシュンツになって聴牌すればメンタンピンドラ1。清純派の王道中の王道。下着を見せたら即デビューできると言われても、安売りしてしまうのはかなりもったいない逸材です。

 しかしライバルグループが今にも大物をデビューさせようとしているのであれば話は別。対門の仕掛けが実に刺激的なので、パッと見では2sをポンして聴牌に取りたくなります。

 ただし筆者の天鳳事情を踏まえると、今回のフィールドは上卓東風戦(順位点40-10-0-▲50(ラスのマイナスは二段の場合))。トップと2着は大差ですが2着と3着は大差無し。トップが満貫をツモったとしてもラスの可能性が更に下がるのでそこまでマイナスになりません。

 対門の仕掛けはドラ7mをいきなり切ってソーズ2副露からのソーズ切り。仕掛けのレンジがそれほど広くない打ち手なら大体染め手聴牌になってそうですが、上東ならトイトイ1シャンテン止まりや、染め手になり損ねた役牌後付けもなくはないというところ。上東だと降りる意識が希薄なので、聴牌してリーチを打っても他家が降りず、結果的に対門の染め手に振り込む前にアガれることも多そうです。そう考えると鳴かずに手を進めた方がよい気もします。臨機応変の打ち回しというといかにも実力者同士の戦いで必要な方針と考えられがちですが、どちらかというと格下相手に最大限に勝ちを目指すための打法な気がするのは私くらいでしょうか。そこが「麻雀は誰と打っても楽しい」理由でもありますけどね。

④アガリきるコツ

 「一度副露したからといってどんどん鳴くのは素人のやること。」昔から言われがちですが、まずは素人考えで十分です。副露するかどうかが問題になるのはp91のように、ほとんどが門前→1副露。少なくとも、「鳴いたら聴牌、鳴かずとも打点が上がらない」ケースは鳴くようにしましょう。清純派アイドルは仕事を選びますが、セクシー派アイドルは仕事を選ばないのです笑

 このお題こそ、②副露のバランスで取り上げられる話で、④アガリきるコツであれば、鳴いた後の手組(例:1233m34789p45s ポン中中中 はリャンメンで聴牌しやすいように12m落とし)を取り扱うべきでしょう。

 今更ですが、本書を読んで一番気になったのは構図の拙さ。テーマにそぐわない話が延々と続いたり、他のテーマの時に話されて然るべき話が突然出て来たりすることが何度となくあります。

 これまで「竹書房」から出版されてきた麻雀本には、良著と言えるものが多数あります。長年麻雀を嗜み、麻雀を語るのが上手い人が、時間をかけて丁寧に仕上げたことで、構図と内容両方の面で優秀な戦術書が生まれました。

 長年麻雀を嗜んでいても、麻雀を語るのが下手な人が雑に書き上げたものは駄作にしかなりません。竹書房が毎月出版している麻雀雑誌「近代麻雀」では、様々な麻雀プロによって様々な形で麻雀戦術記事が投稿されてきましたが、中には「酷評されている麻雀本が良著に見える」レベルの酷い記事が多数ありました。その手の記事があまり知られていないのは、書籍化されることなく埋もれてしまうため。一冊の麻雀本として世に出ているものは、内容はともかく、書籍としての最低限の体裁は整っているものがほとんど。麻雀本というジャンルは、出せばそれだけで売れるような代物ではないからです。

  逆に言えば、「出せばそれだけで売れると期待できる(有名人や有名作品とのコラボ)」「このタイミングで売らないと機会を逸してしまう(年末商戦)」「作っている人が素人(言わずもがな)」。こうした要素が揃った作品は、「駄作以下の何か」になりがち。麻雀本の世界にKOTYがあれば、本書は間違いなく2019年大賞でしょう。何の権威もありませんが、とりあえずおめでとうございます。

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