見出し画像

ネマタの「裏」麻雀本レビュー第38回『麻雀強者の流儀』編その1

 本書は将棋棋士鈴木大介九段の著作。将棋ファンでもある私としては見逃せなかった一冊ですが、本書は昨今では珍しい「オカルト」思考満載。将棋棋士には麻雀愛好家が多く、鈴木氏のような麻雀プロ顔負けの実力者も多いのですが、オカルトに傾倒する人は少なくありません。

 昨今の麻雀研究に基づく戦術論から麻雀を学ばれた方にとっては、将棋のプロになるほどの聡明な人がオカルトに傾倒することを不思議に思うかもしれませんが、これにはいくつか理由が考えられます。一つは、「流れ」の定義問題。麻雀界におけるオカルトの代表格である流れ論は、いつしか「流れ」の定義がすりかわり、将棋のような完全情報ゲーム、あるいは身体能力が要求されるスポーツで使われる「流れ」と混同されるようになりました。人は少なからず、言葉が同じなら意味も同じだと誤解しがち。ゲーム展開という意味での「流れ」を多用する分野に通じていたからこそ、「流れ論」に肯定的な見解を示すようになったことは想像に難くありません。

 他には、「記憶力が良い」人が多いというのも挙げられるかもしれません。本書では筆者の経験則からくるオカルト思考が何度となく登場しますが、この「経験則」こそがオカルトに陥る要因の一つ。再現性の高いゲーム(まさに上述したような、将棋やスポーツのこと)であれば、経験則も大いに武器となりますが、麻雀では多くの場合邪魔にしかなりません。しかし、麻雀も戦略ゲームでありますから、「記憶力が良い」人ほど上達しやすいというのも事実。こうした理由から、オカルトに傾倒するからと言って弱いとは限らず、むしろ強いからこそオカルトに傾倒しがちになる面も否定できないと私は考えます。

 そしてもう一つの理由は単に「周りの人も信じていたから」。筆者が将棋プロの登竜門である奨励会時代から雀鬼会に参加されていました。雀鬼会がどのような集団であるかは、各自調べていただければと思います。私は麻雀のエンタメとしての側面としては雀鬼会も嫌いではないのですが、麻雀界に関わる各界の著名人が揃いも揃って雀鬼会つながりなのは、「何だかなあ」という気持ちが拭えないのであります。その辺りの話もいずれできればいいですね。

 次回から本書で取り上げられている、「押して勝つ44のコツ」が、果たして妥当なものと言えるかを検証していくことにいたします。

 

宜しければサポートお願いします。サポートは全てラーメンのトッピングに使わせていただきます。ラーメンと麻雀は世界を救う!