ネマタの「裏」麻雀本レビュー第43回『麻雀強者の流儀』編その6

押しの流儀10

 本書は近年では珍しいレベルのオカルト本と評されています。私自身本書を読んで、データ研究が盛んになる前にありがちだった麻雀本を読んでいた当時を思い出して懐かしくなったものですが、当記事は単にオカルト思考と切り捨てるのではなく、実戦巧者が何故オカルトに傾倒するのか(もしくは、オカルトに傾倒しているように見えるのか)について考察を進めていきます。

 「自分の捨て牌に123mが並ぶなど手ごたえは全くありません」

 メンツがかぶったとしても、それを理由に将来手が進む牌を引ける可能性が下がるということはありません。手ごたえがない理由としては、12巡目でようやく1シャンテンのうえに、薄そうな47mが残ってしまったことにあるのではないでしょうか。

 しかし、「メンツかぶりになるような牌が山に多く残っていた」のだとすれば、相対的に手が進む牌が山に残っている可能性は減ることになります。 従来の麻雀本で「メンツがかぶったからアガれなさそう」「配牌から動かないターツを落とす」というのも、「メンツがかぶった」「配牌から動かない」という過去の結果に着目するからオカルトになるのであり、(過去の結果を受けて)現状の場況に着目し、他家に使われてそうだからアガれなさそう、あるいは他家に使われてそうなターツを落としたと考えれば筋は通るのではないでしょうか。

「何を引いてテンパイしても、リーチはしないつもりでした。」

 すぐ4mをツモって安めダマ5800の235s待ちは流石にリーチを打ちそうなものですが、そもそも4mが薄いのでそのようなケースはまず起こらないという意識があるのかもしれません。未来の展開を予測する精度が高い人ほど実力者であることは確かですが、判断はあくまで今の時点における手牌と場況で判断します。

 「仕掛けたことでテンパイを入れさせたので、やっちゃったー、って感じでしたね」

 ゲーム機で麻雀を覚えた私は、牌を積む麻雀を打つようになってからも数年間は、「鳴くとツモる牌が変わる」ことを意識できていませんでした。お恥ずかしいことに、自分の手牌ばかりに夢中で、局面の変化にとことんまで鈍かったのであります。その鈍感さは今でも大して変わっていませんが、だからこそ私はオカルト思考に傾倒することが無かったのかもしれません。

 オカルトを信じているつもりがない人でも、過去の対局の悪い結果を具体的に持ち出して愚痴をこぼす人は少なくありません。そのような人は過去を振り返らず今に集中しましょう。オカルト派は自分が過去に影響されていることを少なからず意識できていますが、そのような人は無意識のうちに過去の結果に影響されて、オカルト派以上に打牌がブレてしまっているかもしれません。

自分はテンパってますので押す一手で6pプッシュ

 親でリャンメンテンパイ。それだけで押すには十分過ぎるでしょう。流れ論者の強者は、手組の段階ではオカルトを交えた解説が多いものの、押し引きで明確に差がつく段階になるとオカルトを交えないものです。

 しかしそれでは今までの解説は何だったのかという話にもなりますが、本の中で解説が筋道立っていないというのは麻雀界以外でもよくある話。麻雀界は未だにオカルトだらけと考えがちですが、麻雀youtuberとしても活動されている平澤氏が書籍の中で言及されているように、業界全体を見渡せば、麻雀界はむしろオカルトから脱却できている方なのかもしれません。この辺りの話は機会があればまた取り上げることにいたしましょう。

具体的にはドラまたぎの牌などは切りませんが

 ドラが3s。4sが自分の手を含めて4枚見えているので、ドラまたぎはありません。重箱の隅をつつくような指摘で恐縮ですが、何かと例外をつけて常にそうするわけではないと言いがちなのは、麻雀を長く嗜んできたものの悪癖かもしれません。私が言えた立場じゃないですけどね。

無スジの放銃率が30%、40%と上がってきたら進退を考えますが

 リーチの待ちがリャンメン待ち限定だとしても、放銃率が30%を超えるのは残りスジが3本以下の場合。しかも今回の4pタンキチートイツのようなイレギュラーもあります。本当にそこまで待ちが絞れるなら止めた方がよいですが、その場合はそれだけ放銃率が高い理由を具体的に説明できそうなものです。

押しの流儀11

 ホンイツのような特定の手役を狙う場合は、手役に不要な牌が多数できることが多くあります。不要牌同士であれば、なるべく他家に手牌構成を読まれづらくするように切った方がよいということは間違いないでしょう。筆者は他家のメンツ作りの精度を高めたくないのであり、牌を絞らせたくないのではないと主張していますが、これは表裏一体のことであって、どちらかだけが正しいというものでもないでしょう。日常会話では、AよりもBが本質くらいのニュアンスで、「AではなくてB」という表現が多用されがちですが、必ずしも対立ではなく、両立し得るということを意識しておきたいです。

 本当にアガリたい勝負手は(不要な安牌があっても)危険牌から切る。これもどちらかと言えばオカルト寄りの実戦派から聞きがちな格言。自分がテンパイした時に降りなかった他家から当たり牌がこぼれるケースもあるのですから、1対1のタイマン勝負に持ち込まない方がアガりやすいこともあります。少なくとも一般論として取り上げるには無理がありましょう。無論、強者は無意識のうちに使い分け出来ているのかもしれませんが、それを解説してこそ、優秀な戦術書というものではないでしょうか。麻雀用語はあっても、麻雀を説明するための用語が不足していた。これもオカルトが浸透した理由の一つと言えそうです。

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