新麻雀徒然草第33回「麻雀大会はいかにあるべきか」

 2019年4月。日本版「雀魂」リリースを機にネット麻雀に復帰し、6月に「雀魂の愉快な仲間達」コミュニティに参加することとなった私。雀魂以前と以後で大きく変わったのは、有志の方から麻雀大会に誘われることが極めて増えたということ。それまでの私は、公式大会のゲストとしてか、友人と雀荘で会う時くらいにしか大会形式の麻雀を打つことはありませんでした。

 理由は再三申し上げている通り、従来の大会形式の麻雀は競技としての構造に欠陥(①目無し問題②確変待ちゲームになってしまう問題)があるため。麻雀に誘ってもらえることは大変喜ばしいことですが、大会が終わる度に、たとえ優勝という結果になったとしてもあまり素直に喜べないというのが正直な感想でした。

 大会は競技としてだけでなく、参加者同士の交流を深めるというのも重要な目的です。ですから自分から積極的には参加せずとも、誘われた時は一度も断ることなく参加させていただいたのですが、大会を機に誰かとの交流が深まったということもほとんどありません。

 およそ麻雀大会というのは、①団体内部のプレイヤーのみが参加可能②外部のプレイヤーは招待選手のみ参加可能③誰でも参加可能だが、運営と参加者は完全に切り離されている 3つのうちのいずれかです。円滑な運営の為には致し方のないところではありますが、これでは大会が終わればそれっきり。なかなか新しい交流を増やすというところまでには至りません。

 とは言っても毎回口ばかりで行動が伴わない私。自前で大会を開く気など全く無かったのですが、私の記事の内容を受けて、有志の方によって大会が開催されることになりました。それが雀魂日記内で2ヶ月間取り上げてきた「雀愉位争奪戦」でした。

 5月末から2ヶ月以上に渡って開催された「雀愉位争奪戦」。予選では段位戦制度、本戦決勝戦は「10戦目以降のトップ者が総合トップになるまで続行」とすることで競技①②の問題を解消。予選は誰でも参加可能、本戦は事前に雀愉コミュニティに所属したプレイヤーのみが参加可能。専用の配信、チャット欄を設けることで 交流①②③の形式ではなく、④誰もが参加可能で、運営と参加者を切り離さず 参加者全員で大会を盛り上げていける大会となりました。

 ルールの問題で大会戦は面白くない。かと言って誰とも交流せずに淡々と段位戦を打つくらいなら麻雀記事を更新するか他の趣味に没頭したい。そんな私にとって、両者の不満を解消した本大会はまぎれもなく過去最高の大会でした。麻雀打ちとしても最も充実していたと言っても過言ではありません。

 しかし裏を返せば、競技①の問題は負けがいくら込んでもどこかで好成績を取ればよいので段位戦のようなストレスが溜まらない 競技②の問題は必ず決まった時間に対局が始まり決まった時間までに終わるという意味で利点であるとも言い換えられます。①②を問題視しない人にとっては、今回の大会形式こそストレスが溜まるものであったということも否めません。

 麻雀大会が①②③の形式がほとんどであるのも、運営ないし参加者間でのトラブルをなるべく避けるため。むしろ交流目的であれば、ネット麻雀の段位戦を打つ同士で、麻雀の話をするなり共通の趣味の話をするなりした方がよほど捗るというもの。普段話さない人との交流を望まず、淡々と麻雀を打つことを目的としている人にとっては、今回のような大会形式は肌に合わないものになります。

 もちろん運営側にとっても、参加者間のトラブルを防ぐうえでは①②③の形式で開催するのが好都合 対戦ついでに交流を目的とする本大会は、運営に多くの負担を強いる形式であることにもっと早く気付くべきでした。

 誰かにとっての最高は、別の誰かにとっては最低。むしろ参加者全員にとって「少しだけ不満」な状態の方が、物事というのはうまく事が運ぶのかもしれません。「何故大会戦は目無し問題が解決しないのか」「何故不運を愚痴る人ばかりなのに段位戦で打つ人が後を絶えないのか」。正直、何で皆こんな馬鹿げたことをしているのだろうと疑問でなりませんでした。しかし蓋を開けてみれば、皆は一人一人極めて合理的に動いていて、私一人だけが馬鹿だったのです。

 今回雀愉位争奪戦に生じた問題点については、ひとえに私の注意不足、能力不足に原因あります。深くお詫び申し上げるとともに、今後改善されるよう懸命に努めて参る所存であります。

 …あまり息苦しい言葉ばかりではお互いに辛いので、ここからは麻雀を通じて交流してくれた皆に、私の心中を話すことにします。

①運営の皆様、参加者の皆様、今回の大会に限らず、普段から私のおふざけに付き合ってくれて本当に有り難うございます。今回のようなトラブルが起こったとしても、この気持ちが変わることはありません。

②反省したばかりで掌を返すようで恐縮ですが、私自身は利口になるつもりはありません。相変わらず馬鹿でありたいと思います。雀愉の為でも、ましてや麻雀界の為でもありません。ただ私が楽しみたいからです。皆が利口になって「誰かの為」に動くよりは、皆が私利私欲で動いて、利害関係がぶつかったらそこで調整していく。その方がよほど上手くいくと思うのであります。

③私が「現代麻雀技術論」を書き始めた頃は、「ムダなこと、下らないことにいかに情熱を注ぐか」に人生を賭ける。馬鹿だけど憎めない人が麻雀界にも一杯いました。そうした方々との交流は非常に楽しく、麻雀そのものはいたくつまらないと思ってしまうほどでした。今は皮肉にも麻雀だけはそこそこ楽しいと思うようになってしまいました。だから未だに馬鹿をやり続けていますし、馬鹿に付き合ってくれる人の存在が何よりも嬉しいのです。

④公の場で他人の批判を控えなければならないのはもっともなことですが、人は利口になれても聖人君子にはなれません。互いに利口になればお互いに見えないところで悪口を言うようになるだけで、それは私にとって望ましい状態ではありません。利口になるくらいなら、馬鹿になって直接喧嘩してくれりゃいいのにと思うのであります。

⑤これは完全に私の感情論ですが、私は他人の悪口を耳にするより、昨今の報道の聞きかじりで社会の悪口を耳にする方が余程堪えます。昨今の報道はミスリードだらけですし、社会というのは自分の帰属する集団そのもの。数年前は報道のミスリードを指摘する個人ブロガーが多数居た頃は逐一対応も出来ていましたが、最近はあまりにも情報量が増えて収拾がつかないことになっています(もっとも、普段政治経済の話にあまり関心がない人は以前より賢明になっているので、深刻な事態にはなってないと思いますが)。

 しかし④で取り上げたように、批判そのものをNGにしては息苦しいだけ。折角麻雀のコミュニティですから、麻雀関連の批判だけは何でも有りというのはどうでしょう。ここでの麻雀関連とは麻雀本の著者も含みます。つまり文句があるけど直接言うのは憚られることがあるのであれば、代わりにネマタの悪口でも言ってもらえばOKです(笑)もちろん私も言われっぱなしでは癪に触るので、麻雀でケリをつけましょう。揉め事があったら麻雀で解決するのが麻雀漫画のお決まり。馬鹿馬鹿しい話ですが、馬鹿馬鹿しいからやめようではなくて、お互いに馬鹿であり続けられる関係でありたいものです。

⑥大会を開催した以上、最後まで続けるのが筋というものですが、運営の負担を目の当たりにした身としては、四麻選抜戦中止の申し立てに異論を挟むことはできませんでした。

 しかしこのまま終了させてしまうのも、企画担当の一人として申し訳が立たないというもの。せめて優勝者だけでも決めようということで、予選上位16名で四象戦形式(準決勝まで2位以上勝ち抜け)のトーナメントを開催したいと思います(あくまで私個人の願望なので決定事項ではありません)。

⑦最後にもう一つ。『勝つための現代麻雀技術論』の新刊、今年3月発行(初期案では昨年7月)の予定でしたが、今年に入ってから編者から連絡無し、1年以上待たせてしまい大変申し訳ありません。

 私は収益よりも、麻雀愛好家の中で情報が蓄積共有されることを何より優先したいので、雀愉ブログの形式で『勝つための現代麻雀技術論』の内容を含めた麻雀講座を今後取り上げることにいたします。執筆開始時期は「雀魂で魂天になってから」のつもりですが、もし今年中に達成できなかった場合も2022年から書き進めることをお約束します。雀愉ブログでは麻雀で強くなるために必要な技術を重点的に取り上げ、noteでは『現麻本』で取り上げた牌姿の一つ一つについて、元ネタを踏まえたうえでマニア向けな解説を余裕があれば取り上げていきたいですね。

 

 

 

 

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