ネマタの「裏」麻雀本レビュー第49回『麻雀強者の流儀』編その12

第五章 麻雀の流儀

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 本局面から上家ロンアガリ、対門ロンアガリ、下家ロンアガリ、ツモアガリした場合の予想順位を「麻雀順位予想計算機」で調べてみました。最強位戦想定でトビ無しと思われますが、0点未満の点数に設定することが出来なかったので、下家ロンアガリについては下家の点数が−6500点のところを0点として、残りの三家に6500点加算したものを計算しました。

 確かに上家から見逃すことで下家から見逃すよりも対門への直撃チャンスが1巡多くなりますが、上家からアガった方が下家からアガるよりも2着率はずっと高くなります。トップの価値が高いルールで、1枚見逃してもまだ十分にアガリ目が残りそうなので見逃し自体は有力とみますが、上家から見逃すのであれば下家からも見逃した方がよく見えますね。

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234m33p56s白白白発発発中

 筆者が上の手牌から中を切る人はいないですよねと言われていますが、私は何を言われようとテンパイに取ってリーチを打ちます。いくら役満があるとはいえ、中引き必須の1シャンテンが、出アガリ最低6400のリャンメンテンパイに勝るようには見えません。

11345789m78p西西西白 7巡目 ドラ南

 こちらは即リーチではのみ手で、マンズを引けば更にホンイツの受けが広がるのですから前の手牌よりは白を残す手も考えられます。しかしこの程度でも7巡目となると即ホンイツでテンパイする受け入れが1m白のみなのは厳しく、「格下の証」と言われようとリーチを打ちます。

 筆者が所属する雀鬼会では、「第一打の字牌切り」は御法度とされます。確かに麻雀を覚えたての頃は、「浮いている字牌から切りなさい」と習うことが多く、それが癖になるあまり、ホンイツを狙うべき手牌から狙えていない、「格下」の打ち手が少なくないことは否めません。第一打の字牌切り禁止も、そのような安易な手組を咎める意図で設けられたものであることは想像に難くありません。

 手組が甘い打ち手というのは、単にアガリを目指すだけでもホンイツを狙った方がよさそうな手牌ですら、字牌やホンイツが狙える色の浮き牌を安易に切ってしまうものなのです。そのような手牌が来ることは、今回のような手牌が来ることよりずっと多いもの。ここから78pを切り出す打ち手は、そうした手組の甘い打ち手よりは格上であることが多いのは事実でありましょう。

 筆者の見解に突っ込みを入れても不毛なので、私の見解をお話することにします。「結果が全て」という人は、「過程が大事」という人を甘えと言いがちですが、そういう人が少なくないのも分からなくもありません。牌を積む麻雀に限らず、およそ人生における出来事の大半は、過程を検証しようにも出来ないものがずっと多いもの。過程を大事にしようにも出来ないのであれば、結局結果を大事にするしかなかったのです。

 しかし牌譜を記録できるネット麻雀の登場で、「過程」を検証することが出来るようになりました。それでも麻雀のゲームの性質上、「結果論者」は中々絶えませんし、私自身が常にそうなる危うさをはらんでいますが、麻雀AIの進歩により、結果からしか麻雀の強さを測れなかったものが、過程からも測れるようになりつつあります。結果にこだわるのも、そのうち卒業できる日が来る。その日を私は心待ちにしております。

 私はこれまで沢山の麻雀打ちから何を切れば良いかの質問をいただいてきました。質問者の実力は千差万別ですが、実力に関わらず、何を切るか迷って当然の難しい問題ばかり。すぐに返答できず、検証に何時間もかけてしまったものも少なくありません。

 しかしどれも難しいと言っても、実力に劣ると思われる打ち手が送って来るものには「その前の段階でこちらを切っていれば難しい局面にはならず、より有利な打牌を迷わず選べていたのではないか」と思わされる問題も数多く見受けました。

 「2択を間違えない」のが強者とありますが、結果論的な間違いはどんな強者にもあります。強者ほど「間違うような2択」になる頻度が少ないからこそ、「2択を間違えない」ことが多いというのが実際のところではなかったでしょうか。「本当のセンス」は、本当にほぼ同じ確率の場面で問われるのではなく、ほぼ同じ確率と「思われがちな」場面でこそ問われます。

 強者と同卓したくないと公言する人も少なくありませんが、麻雀は、「強い人は絶対負けない」類のゲームではありません。対戦相手のことは気にせず打つことをお勧めします。厳密には相手のレベルによって打牌判断が変わることは有り得ますが、そのあたりの判断は相当上手い人でも正確にできるというものではありません。

 しかし、相手を気にしなくていいと言っても、自分の手牌の都合だけで打てばよいという意味ではありません。実力は様々でも、誰しも勝つために打っています。河に並んだ牌は勝利を目指す他家の意志が込められているのですから、それを読み取るために牌に着目する必要はあります。「相手は舐めても麻雀は舐めるな」。私はこのスタンスで対局に臨むようにしています。

 1mを自分の河に切っているのは誤植でしょうか。腰を使ったことを気にするかどうかは打ち手の勝手ですが、そもそもこうした問題を気にする必要のないルールにすることも可能ではあります。

 しかし、ルール上の不備を不備としてみなさず、むしろマナーの一環としてとらえる筆者のような打ち手こそが余裕を持って麻雀に取り組み、結果を残すことが出来たという側面はあるかもしれませんね。

7 麻雀好きな将棋棋士の話はある程度存じているつもりでしたが、野本先生が麻雀強者であることは初めて知りました。将棋棋士の麻雀エピソードには面白いものが多いので、今後気が向いたら取り上げるかもしれません。

 特別付録の最強位対談はとりあえずノーコメントといたします。戦術本レビューはこれにてお開き。来年は新版『勝つための現代麻雀技術論』発売を受けて、本書を元にした麻雀講座をまとめたいですね。

 

 

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