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放送技術研には手を出すな


#部活の思い出

今の世の中のいわゆるコンプライアンス的にはNGなこともあるだろうけど
私の大学生の頃ってもう20年くらい前のことなので
時効
てことでご容赦願いたいと思います

私ひばり(女)は
某大学の某理系学部の放送技術研究会という部活に入っていた。

その部活に代々引き継がれる「老舗料亭"たに家(仮名)"の下足番のアルバイト」てのがあった。
今もあるのかわからないけど、まぁそこに来るお客さんの靴を預かって番号札渡すアルバイト
通称:たに家ボーイ
終わるとその日のお客さんが食べ残した、要するに"残飯"を部室に持って帰ってみんなで食べる
のがルーティン。
あの頃のわたしたち大学生ってたいがい皆いつも貧乏で腹ペコだったから
「今日はK(部員)たに家バイトらしいよ」
という噂を聞きつけた部員たちがヒナのごとく、たに家ボーイのKが持ち帰る、通称"たに家メシ"をお腹を空かして待ってた。

"たに家メシ"はいつも透明のプラスチックケースとかビニール袋に入れられて、いかにも
「吾輩は残飯である」
といったビジュアルで部室に運ばれて、あっという間に部員たちの胃袋に消えた。
今考えるとよくみんなお腹壊さなかったな〜と思う。というか、よくあれを食べようという気持ちになったな〜。コンビニのバイトが持ち帰る売れ残りとは全く事情が違ってくるのである。
どこかの誰かがちょっと箸をつけたかもしれない、それはろくに歯磨きもしてないようなおっさんの箸かもしれない、とかそんな想像は空腹と貧困の前では無力だった。

"たに家メシ"のメニューはだいたい天ぷらと焼き魚が多く、地元の名物料理「鯉こく」なんかもよくビニール袋で登場した。
たに家めしメニューの中には人気のあるものと、いくら空腹でもみんな残すものがあった。
人気のあるのは刺身とか肉系、刺身がある日はラッキー⭐︎と小躍りして喜んだ。
いつも売れ残るのは「みかんの天ぷら」とかアバンギャルドな創作料理で、代替わりしたばかりの板長の渾身の一品だったみたいだけど
割といつも"たに家メシ"のラインナップに残ってたということは、実際の客も手をつけてなかったということになる、笑。

そして全ての部員(たに家ボーイ除く)が"たに家メシ"を食べたことはあってもその料亭には行ったことがなかった。
私は卒業してもその後10年ちょっと大学の近くにいたんだけど老舗料亭なんて行く機会もなく、そうこうするうちに当時の婚約者と破局したり県外の実家に帰ることになったりで
たに家の存在も"たに家メシ"のこともすっかり忘れていたある日
卒業して10年くらい経ったころかな、思いがけずチャンスが訪れた。
歴代たに家ボーイの1人がなんとたに家で結婚披露宴をすることになったのである。

ついに、あの"たに家"に行ける
しかも残飯でない、だれかの食べ残しではない、自分のために用意された"たに家メシ"が食べられる
SNSでメッセージのやり取りしかしたことない人と実際に会う、みたいな不思議な感覚
知ってるのに知らない、みたいな


期待を胸に訪れた"たに家"は古民家改築したような、どこか懐かしさを感じさせるところであった。
畳敷きの大広間で元たに家ボーイの結婚披露宴は始まった
先附から始まってお吸い物に刺身、焼魚そして天ぷら
そして密かに期待していたみかんの天ぷらは
メニューになかった…
あの頃は味の想像がつかなすぎて手を出せなかったみかんの天ぷら、今なら食べてやってもいいと思っていたのに

でも初めて食べる、自分のために用意された"たに家メシ"は美味しかった。結婚式というめでたさも相まってとても楽しく美味しくいただいた。
ただ、お酒を飲みながらなのでお料理も後半になってくるとお腹いっぱいになっちゃって結構残しちゃったんだなぁ〜
当時の"たに家メシ"に焼き魚と天ぷらが多かったのは、終盤になると満腹になってきて食べきれないからなのだ
ということを20年越しに身をもって知ったのだった。

私が残してしまった"たに家メシ"はどうなったのかな、下足番はいなかったので部室に持って行く人はいないはずだ。


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