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眺望

珍しくメンバー以外の人間と色んな話をした。

主にバンドの話。4月からのライブ特訓期間に向けて練習をせこせことしていた日々にモヤモヤしていたことがさらにモヤモヤしてきたような気もするし、少し解けたような気もする。

自爆は我々もわかっているが、何もかもが早すぎるバンドなのだ。初ライブ8月、からのスピード感では無い。そこの脆弱性を正しく突かれたような気がする。確かに何もかもが薄っぺらいような気もたまにしてしまう。ササキやガンジーがロックンロールを信念持ってやり続けていることと俺自身がロックンロールバカではないギャップが生み出すものがしっかりと形になってくればいいのかもしれないが、今の所、やれては無いと思う。それはその通りだ。
だからこのままでは再現バンドになっていく道しか見えないし、そこに技術力とメンバー個人個人の愛の強さでかなりの課題がある。
しかしまあそこに我々もかなり自覚的に動いてはいて、バンドとしての新しさをどこまで出せるか、という議題は集まればいつも話している。だからこのまま俺たち行けるぜ!とは思っていないのだ。その安心感はあるにせよ、自信を持って答えを出せていない現状に焦りと不安は感じざるを得ない。そこも見えてるんだろうな、と思った。

パンクとオルタナ、とても似ている。
それはジャンルとして定義できない、精神性に強い軸足を置いている言葉であるからだ。では両者が同じものであるか、と問うた時にその精神性の違いを見つけることが出来る。
現時点での自分の答えは、
パンク=カウンター
オルタナ=イノベーション
だと思っている。それはもう人それぞれだと思うけど、俺は今こう思っている。
そうであると定義した時に、これまでシーンに革命をもたらしてきた、新宿ディスクユニオンパンクマーケット的パンクというものは両者を得てきたのだと思う。だから、新しくて尚且つシーンをガラッとひっくり返すようなことが出来ていたのだと思う。

しかし、ギター2本ベース1本ドラム1台でやれる音楽というものにかなり限界は感じていて、やれエフェクターがどうだとか音楽理論がどうだとか、そんな事をこねくり回しても多分目新しいモノは生まれないと思っている。そこに挑むことは素晴らしいのだけれど、俺の脳にはその将来が見えなかった。となれば、オルタナなバンドというものは恐らく不可能と大方の予想を付けてきたのだ。(あくまで、オールドスクールなバンド編成での話で、昨今の同期音源やDJ、VJを組み合わせたバンドについてはまだ将来性があると思うが、自分がそこについてあまり詳しくないので語ることは控えておく。)

しかし、俺が自爆でやりたいことはあくまでオルタナではなくパンクであると断言した時、サウンドが新しい必要は無い、と考えた訳だ。だから敢えて古臭いロックンロールをやることにした。
そう納得してきたのだが、そのロジックにも脆弱性はあり、ロックンロールという音楽がもはやハイカルチャー化しつつある中、求められる技量はとてつもなく高い。それを得ずに提示し続けることは必ず頭打ちになるし、大人にはバレバレの商売になる。そりゃ若者相手でやっていく方向性ではあるのだけれど、だとしても裏付けのないロックンロールは誰も踊らせられない気がする。んで多分バンドやってる奴にはバレバレだと思う。そんでクオリティの高いロックンロールを目指したとて、暴動クラブの奴らには正直敵わない気もしている。だし、俺自身がそのタイプの生まれでは無いから、そこに必然性、みたいなものを与えることはめちゃくちゃ難しい。逆に言うと、俺自身の必然性を考えた時に、カウンターであること、にはかなり拘りと憧れと、作為と思想があると思っていて、バンド全体で考えた時に、俺が両軸を体現せずとも、パンク×ロックンロールのパンク側をめちゃくちゃ尖らせていき、他メンバーにロックンロールを任せる、という方向性が実は1番実現可能性のある方針なのだろう、と考えてた。


バンドとしてその相性と、バランスと、どちらもを兼ね備えた時に、やっと音楽の奥にある思想であったり人間性みたいな部分の評価になってくる気がした。


また、俺自身はオルタナティブなこともやりたい。色々考えてはいるけど或る意味で新しいpopsという世界。ロックンロールは大好きやし、バンドも大好きだけれど自分が考えうる限りそのシステムでやれることはもうやりきっていると思うので、ちょっと違う視点からやろうと思っている。人間椅子とノイズを混ぜて、シューゲイザー風味の聞き心地を出す、みたいな漠然としたイメージ。すげー弱々しいけど多分やってったらだんだん分かってくることだから自分でも楽しみ。


つまり、その両輪を持って俺自身がひとつの作品として、これまでの革新性とカウンターを兼ね備えたパンクを体現すると言う試みなのだ。これが詰まるところの計画の全貌であり、その企みみたいなものを常に透けさせながら音楽に向き合っている。


その問題点はやはり、もっと純粋で馬鹿で狂った筋が無いところなのかな、とかなり悩んでいた。しかし、俺自身の純粋、というものを考えた時にこうやってああだのこうだの考えてダメだとかいいとかやって、これが、純粋なのだとしたら。特に悩むこともないのか。
否、現状を打破したい気持ちは常に脳内を渦巻いているし上手く言語が出来ないけど課題は山積みなような気もするし。それはゴミ屋敷を掃除しようと思っても手に着けていい場所が分からない、みたいな感覚と似てて色んな小さな悩みが絡まりに絡まっているような気分。その解決方法は悩み続けること、なのであればなるほど楽なものでは無いのだなと思う。

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