ところどころジョージ
彼はところどころジョージでありましたので、たまにスティーヴンと間違えられましたが、その度わりに丁寧な対応をしていましたので、その功績が認められて、彼は晴れて国会議事堂に入ることが出来たのです。
国会議事堂の中で彼はなかなかどうして愉快な時間を過ごしました。
ですが結局、彼はどうしてもところどころジョージでしたので、自分は一般的な読書家になろうと思って、いくつかの本を買ってきました。
そのうちのいくつかは思わず頷けるほどの出来ではありましたが、やはりそれ以上ではありません。
それ以上ではないということは、つまりそういうことです。
ところどころジョージな彼は、いくつかの本についての酷評を友人に伝えました。
すると友人は彼に(わざわざ丁寧にも)ファクシミリで、彼が酷評した本の作者を伝えました。
それを読んだ彼は独りごちたものです。
「へえ、こいつがスティーヴンか」
そういうことで彼はいくつかの本についての酷評を取り下げたのです。
なぜなら彼はところどころジョージである前に、平凡でたまにスティーヴンな諸般の男性であったのですから。
「実際、いくつかの本のところどころは、なるほど、俺が書いた気もするな」
つまりその日から、いくつかの本は彼の創作でもあり得ます。
次の日の彼は美食家になろうと努めてはいましたが、どうしてこれが続くことがあるでしょうか(いや、ありません)。
(2009.1.12)
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