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春の山種美術館さんぽ

 もうだいぶ前の話になってしまったけれど、美術館にお花見に行ったことがあった。
 山種美術館で開催していた、上村松園・松篁の美人画と花鳥画の展覧会。 美術館に昨年植樹されたという奥村土牛ゆかりの桜に惹かれて、普段はめったに行かない広尾まで散歩に行った。

山種美術館のnoteで桜が植樹された経緯と開花の様子が紹介されています。


 美術館に着くとすぐ、入口の手前でお目当ての桜がお出迎えしてくれた。

一週間前に冷たい雨が降っていたので、花が縮こまらなかったか心配だったが、綺麗に咲いていた。この日の朝は曇りだったので、少し涼やかな雰囲気だった。

 原木は「太閤しだれ桜」という京都・醍醐寺にある樹齢約170年の桜。

 豊臣秀吉が栄華を極めていた頃、醍醐寺で盛大なお花見を開催していたことが、名前の由来になっている。山種美術館には、画家の奥村土牛がこの醍醐寺の桜を描いた、その名も「醍醐」という作品が収蔵されている。
 現在広尾に植えてある桜は、太閤しだれ桜の樹の組織を培養してつくられた後継樹だという。

 戦乱の時代を生き残り、無数の人々の心に春を届けてきた歴史ある名木を、最新の技術で生まれ変わらせた桜。170年前に生きた人たちも、可憐な花を仰いで美しい四季の流れを感じていたのだろうと思った。



 上村松園・松篁の特別展は美術館地下の展示室2つを使って開催されていた。
 松園はもともとは京都の葉茶屋の次女として生まれた方。清冽な絵の才能を持っていたために美術学校に進み、葉茶屋を廃業して画家としてのキャリアを確立したそう。
 家業を断って男性社会である日本画の世界に飛び込むことを決め、一流の絵を描き続けていたというだけでも、稀少な才能の画家であったことがわかる。しかし実はそれだけではなく、シングルマザーとして長男の松篁を育て上げた方でもあったらしい。
 明治から大正にかけては、政治や経済活動を営む公的領域と、家庭生活の空間である私的領域の二分化が進んでいった時代。その進行に伴い、女性たちの活動する領域が、どんどん家庭の中に押し込められていった時代でもある。
 どれだけの困難を乗り越えながら松園が活躍し続けたのか、想像しながら一つ一つの絵を見ると、感慨もひとしおだった。

 松園が清らかな美人画で高い評価を受けていたのに対し、母と同じ画家の道に進んだ息子の松篁は、格調高い花鳥画を得意としていた。
 ちなみに松篁のご子息は、こちらも美しい花鳥画を描かれる日本画家の上村淳之さん。三代続けて、鑑賞者の心を温かくする一流の日本画家としての道を歩まれた、凄まじい才能の系譜だと思う。



 松園の展示の中で特に印象に残ったのが「庭の雪」。

 雪のなかで、ほんのりと耳たぶや頬を赤く染めながら佇む、若い女性の肖像をとらえた作品。
 背景や、題名に詠われた庭の景色は描かれておらず、ひらひらと舞い降りてくる雪と女性の上半身だけを描いた作品だが、不思議と伸びやかな奥行きが感じられた。女性の穏やかなまなざしの先にある、雪化粧をした庭の景色が浮かでくるような情感に満ちていた。女性が身にまとっている薄花色の着物と、その襟にかかった縁飾り付きの薄紅色の布の配色の対比も美しかった。

 

 松篁の展示の中で印象に残ったのは「白孔雀」。
 展覧会のチラシにも掲載されている作品だけれども、実物の優美さは素晴らしかった。黄色いハイビスカスの花の下を悠然と歩く、鶴のように清冽な白い孔雀の姿を描いた作品。
 レースのような紋様をたたえて、ふっさりと伸びた尾には、尾というより翼のように見える迫力があった。一緒に描かれている花がなぜハイビスカスかというと、松篁の絵の先生が南国の風景をモチーフにすることがあった方だったからだそう。よく見るとハイビスカスの雌蕊の先の赤い柱頭も描かれていて、色の対比が心地よい絵だった。


 それから、大きな金図屏風に描かれた「日本の花・日本の鳥」も美しかった。梅・桜・牡丹・桔梗・萩など、春と秋の代表的な花々を描いた構図がとても贅沢で、絵の前に立っていると時間を忘れそうになる魅力があった。


 松園・松篁以外の画家の絵も堪能できる、とても良い展覧会だった。
 特に素敵だったのは、虫を売る屋台を営む女性と屋台に集まってきた子どもたちの姿を描いた「虫売り(伊藤小は)」。それと、金色の靄のたなびく月夜を飛んでいく二羽の雁の姿を描いた「白い雁(上村淳之)」。
 伊藤小はは初めて見る画家だったけれど、虫売りという当時の風習文化を知ることができる、細かくて貴重なスケッチだった。
 「白い雁」は大きな屏風の作品で、長い靄に包まれた月の姿に引き込まれながら数歩進むと、月をわたって飛んで行く雁の姿が現れる構図になっているところが美しいと感じた。


 展覧会のあと、このときは珍しくゆったりした気持ちだったので、併設のカフェで一休みをした。ここのカフェは、展示作品から着想された上品な和菓子を提供するお店で、今回は「醍醐」をモチーフにした「花のうたげ」という和菓子と季節のお茶のセットを頂いた。
 さくら色の餡にすっと切り込みを入れると、中には黄緑色で柚子入りの餡が包まれている。季節のお茶は桜茶葉。緑茶には金箔がひらひら浮かんでいて、一口飲むと、かつて醍醐寺で開かれていたという豪奢な花見の席にふっとタイムスリップしたような気持ちになった。


美術館を出る頃には、天気は晴れて太陽が見えるようになっていた。


 帰路、自宅近くまで戻り近所の古本屋さんに寄ったときに偶然、ジャン・ジオノの「木を植えた男」の絵本を見つけたので、買って帰った。
 木に想いを託し、木から人の一生の意義を汲み取ってきた人たちの営みの中で、連綿と受け継がれる「美しいもの」への憧憬と希望に、なんだか不思議と励まされた一日になった。


花の光に時を想う

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