参った
文書を書くのは久しぶりです。
1月からずっとお腹が痛く、落ち込みぎみになっている間に3月も終わりになっていました。
勇気を出してクリニックに行ったものの、結局今日まで何も原因が分かりません。
これは精神的なものなのかと、先日カウンセリングも受けてみました。
恐らくそうなのかもしれませんが、理由が明確に分からない時の何とも言えない気持ちが一番やりきれません。
というのが前提で、最近は頭が動いていないのですが、今日は気持ちをぶった切ってここまでやってきました。
なんだか言いたいことがあるようなないような気分だったのです。
世界の状況を記事で追うも、現在は気持ちが下がっているために全てを自分側に寄せてしまいます。
10年前に鬱病を持っていたときもそうでした。その時は、世界に飢餓や貧困で苦しむ人がいる中、何もしなくても普通に暮らしている自分がなぜこんなにも無能で価値がないのか。
少し私の状態が良くなったとき、なぜあんなことを考えたのだろうと不思議に思います。でもそれはそれは真剣に考えていたのです。
今もその頃に近づいている様な気がします。何か絵を描こうとするとき、伝えたいことがあるとき、私のようなふらふらした中身のない人間が何を言おうというのだ、とそういう気持ちが押し寄せてきます。
簡単には変わることはありませんし、コントロールの効くことでもありませんが、こうやって書いてみました。
書きに来たのは、日本でのニュースや記事や知らない誰かの言葉を横目で見て、自分のそれに感じるくらい愕然とするからです。
教育がどうのこうのというところもありますが、私を含めて圧倒的に考える機会を失っていると思います。
もちろん自ら知ろうという気持ちもないと思います。流されてくるものに対して簡単に受け止め、それについて意見を持たない。誰かの書いた意見をそのまま自分の言葉にしてしまう人がとても多い。
話し合うには理解しなければなりません。自ら学んで考えなければなりません。自分の言葉を使わなければなりません。
これはいくら私が落ち込んでいても言葉にしたいことです。
私自身への投げかけなのかもしれないですが、ここに残しておくことをお許しください。
また。
サポン!で世の中を変えることは難しそうです。しかしやってみる価値にかけてみたいと思います。