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イエスタデイをうたって。を観た。7話

どうも。遅くなりましたが、イエスタデイ7話みました。

チカの件の謝罪で、を食事に誘う陸生
陸生自身も写真スタジオでの仕事が決まった。

スタジオの仕事は楽しく、やりがいを覚えるが専門的に学んでこなかったことに陸軍はどこか気後れを感じる。

一方その頃、榀子は自分に好意をよせるとの距離感をつかめずにいた。
そのことを陸生に相談し、関係を取り繕う。

そんなある日、浪の姿にを重ねてしまった榀子は、浪の前で涙してしまう。

榀子に追いつきたい、守りたいという本心をはきだす浪を振り払い、陸生を訪ねる榀子。

そこで、自分の気持ちに気付くのだった――。

感想

陸生と榀子の話。

陸生はスタジオの仕事が決まるが、楽しんでいる割にどこか自信がない、本気になれていない。気後れしているように感じます。

写真を専門的に学んできていないということがコンプレックスになっているか。の存在も大きいか。

榀子に対してもそうで、浪について相談されたとき、結婚式の帰り道と積極的になれていない。これも本質的には気後れだと思います。

1話の『社会のはみ出しもの』というセリフが効いています。

一方、榀子はとても独りよがりな恋愛をしていると感じます。

浪とはいままで通りの関係でいたい。これは陸生のときもそうでした。

そこから前向きになるときめた彼女。しかし、そこから抜け出す事に対しては他人任せになっている。

これが彼女の言う中途半端や、陸生に対して言った『強引だったらよかった』というセリフ。

とても独りよがりだと感じてしまいます。福田の言った恋愛偏差値が低いという表現は的確で、こどもっぽい考え方だと思います。

逆に、晴は陸生が仕事が決まったことや熱中していくことに対し、見守るような態度をとっています。

この晴の態度はとても大人だな、と感じます。

前回、晴⇔榀子の対比をこども⇔大人と表現しましたが、恋愛全体への姿勢という大きい見方では、この関係は逆転しています。

最後に、浪ですが、これは榀子の言った通り、勘違いしているんだと思います。

浪自信、自分と湧を重ねてしまっているのかな。榀子に対する感情のうちには、湧に対する感情も含まれているように感じます。

でも、彼は本当に若い。『何者かになりたい』『榀子に追いつきたい』という若いからこその、一種青臭いような感情が行動原理になっている。

観ていてとても気持ちがいいキャラです。花江夏樹さんがうまく表現していますよねぇ。

以上

今回は思うところが、多く文章のまとまりが悪くなってしまいました。

この作品は、『愛とはなんぞや?』というフレーズにもあるように、『愛』の形が1つ大きなテーマになっています。

4人それぞれに、それぞれの愛の形があると思いますが、僕の個人的な意見では、晴の形が本当の愛だと感じてしまうのです。

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