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日本臨床倫理学会第11回年次大会に参加してきました

ご覧いただきありがとうございます。
2024年3月16-17日で行われた日本臨床倫理学会第11回年次大会に参加してきました。
以下のリンクが大会のページです。


初日にはプレ合同シンポジウムが行われ、私はそこから参加しました。
内容としてはがん診療における臨床倫理という題材で、がん診療でのSDMやがんに限らずに小児患者の診療の参加などについての発表がありました。

続いて、開会の挨拶と大会長講演があったのですが、多くの参加者で順天堂大学のかなり大きい小川講堂がそこそこ埋まっており、私は立ち見で拝聴しました。

メインの基調講演ではART(生殖医療)によって誕生した子どもを守るための公的なプラットフォームの形成の重要性についての発表でした。

この講演に関してなのですが、ARTにより生まれた子ども自身の出自を巡る問題は少しずつ匿名性を保つ面と知る権利を伸ばす面のバランスを保ちながらも知る権利側に少しずつ進んでいると感じました。

臨床倫理教育についてのシンポジウムがありましたが、これは聴いていて意外なのと面白さがありました。
医学生や看護学生の学校で受ける卒前学習と卒後学習についてですが、倫理という学問を学ぶにおいてまずは大枠の生命倫理学から学び、実地研修の前後で再び臨床に即した倫理を学ぶという形があるらしく、研修に出たからこそ感じる臨床現場の倫理の重要性に気がつくという学生も居るそうです。

また、「隠れたカリキュラム」という話が上がりました。
詳しくはこちらをご覧ください。

この考え方は今まで触れなかった新鮮なものでした。
ただ、臨床倫理を学ぶ上で結構な確率で遭遇するもののようです。

1日目の一番最後のシンポジウムはACPに関してでした。
ACP自体は私はかなり興味があり、去年の学会のときにもACPについての講演を拝聴した覚えがあります。

衝撃的だったのが欧米で広がったACP自体に効力があるのかどうかという疑問が湧きあがっているということです。
その一方で、欧米版を様々な観点で再翻訳しながら日本版のACPを作成したという発表がありました。
使いにくいという考えがある欧米版のACPを日本人に合うようにリメイクしたもののようです。

実はこれを書いている今日の午後は東京大学の上庸講座の勉強会があったのですが、そこでもACPについての話題になり、東京大学から本が出版されるようです。
このように考えると多角的にACPについて注目されつつあるなと感じます。

ちなみに以下のリンクが日本版ACPについてのページになります。

続いて次の日の午前中ですが、念願の仮想倫理コンサルテーションへ参加をしてきました。
9時からという普段の私からするとかなり早い時間からの開催でした。
そんな時間の開催にもかかわらず会場にはかなりの人数が集まっていました。

倫理コンサルテーションの形式ですが、まず仮想事例を提示されて5-6人くらいのグループを作ってディスカッションをするというものでした。
このグループについてですが、しっかりと班分けのような形で分けるのではなく、近くに座った人たちとグループを作るというものでした。

実際に参加しての感想ですが、本当に周りの人の知識量、経験量、臨床倫理としての向き合い方というのに圧倒されました。
私も少しは事例について読み込んで準備をしたつもりですが、考えつかなかった観点での意見が多数出てそんなところまで読み取って考えられるのかと驚愕しました。
これは知識もあると思いますが、普段の臨床上での倫理的問題に関してアンテナを張っていてそれについて考えているからこそ出てくるものなのだなと思いました。

この倫理コンサルテーションを通じて痛感したことはまだまだ、臨床倫理としての基礎知識が足りていないことです。
あのような場で善行原則や無危害の原則などがサラッと出てきたりしてまずはここから考えてみようと言う風に場を回してくださる方がいらっしゃいました。
知っている知識を言語化するのと、仮想事例に対してもその知識を柔軟に応用させるというのが求められるなと感じました。


これでひとまず一通りです。
17日の午後に関しては上記に書きましたが、東京大学の上庸講座の認知症についての勉強会があり、自宅に帰って視聴していました。

この大会についてはオンデマンド配信もあるようなのでそちらで出れなかったところは見ようかなと思います。

倫理コンサルテーションに参加できたことがとても良い経験になりました。
新たな刺激を受けてまた新しく考え直してみようということとコミュニケーション能力を上げようという気持ちに今なっています。
最後までお読みいただきありがとうございました。

CEねこやなぎ


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