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カラーの鉢植え

今日買物に出かけた母が「コメリでカラーを売っていたから買っちゃった」と嬉しそうに話しかけてきた。「カラーって高いんじゃないの?」と聞くと「2千円ちょっとした」と言った。

明日は、母の日であるが私の53回目の誕生日でもある。10年に一度くらい母の日と重なってしまう。うちでは、誕生日にケーキを買わないし、○○の日にチラシで売り出す何かを買わない。

だからカーネーションもプレゼントもない。母が自分の年金で好きなものを買って喜んでいればそれでいい。

以前海外旅行に行って、財布をお土産にあげたが、母には気に入らなかったようで、使わぬままいらないからあげると言われた。私がハワイかどっかで買ったのに、自分で使う羽目になるとは思わなかった。それ以来プレゼントはしないことにした。

父の認知症がヤバイと思っていたが、今月に入って母もかなりヤバイと気付いた。ブツブツ独り言が多すぎる、それも他人の悪口。冷蔵庫にあるはずのものがない、昨日食べたことを忘れてる。

父に「母が認知症だ」と言ったら「そうか、俺も悪いんだよな」と珍しく殊勝なセリフを言った。父母に加えて、猫もおばあちゃんで家は年寄だらけで大変なんだと愚痴を言ってみた。

そしたら普段言わないことを教えてくれた。近所のAさんの奥さんは施設に入ったが、もうAさんが誰だか分からなくなった。Bさんの奥さんも一年くらい前から施設に入っている。

双方の奥さんは車の免許を持っていなくて、夫の運転に頼る日常を送っていた。母も奥さんたちと知り合いで、高齢者のための生き生き教室という公民館でやる行事に二人を車に乗せて送迎していたことがあった。

その頃からBさんの行動はおかしくて、お車代はいらないといくら断っても何かしら買ったものを手渡され、困惑していた。和菓子が裸のままレジ袋に入れられていて、パックかラップに包まないのかと驚いた。

Bさんの家に行ったら、待ちきれなくて先に夫の車で出かけていたこともあり、母は毎月楽しみにしていたが、ほかの理由をつけて行かなくなった。

奇しくも妻二人が認知症で、夫はなんとか自宅で生活する話を聞き、私の不安は消えることがないが、文句を言われたりイヤな思いをすることもあるけれど、お互いに誰かを分かって話ができていることは、ありがたいことなのだと思った。

リビングに置かれた黄色いカラーの鉢を父にも教えてあげた。そしたら「水芭蕉だ」と思っている。カラーだと言っても、カラーの花を知らない。このように私と父の会話はかみ合わない。

コウモリのように父には母の悪口を言い、母の前では父の悪口を言うのが、いびつな家族円満の秘訣で、私がどちらかの肩を持つと仲間外れにされた側が怒り出す。

せめて明日の誕生日くらい、父母による父母のための悪口の言い合いを聞かずに過ごしたいものだ。