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旅行記 / 東北地方 初めての東北と三陸の鉄路 (2019/03)

ちょうどこれを書いている今、あれから10年が経とうとしています。

当時まだ高校生で、期末テストの頃でした。帰りの電車に乗っていたこともあり全く気が付きませんでしたが、私の住んでいるあたりでも震度3が記録されています。ニュースで流れてくる映像を見て動揺し、テスト勉強が全く手につかなかった記憶があります。

自分の目で見たいという思いはありながらも、行く暇がなく、行ける方法も知らず、結局そのままになっていました。しかし、とあるきっかけがあって行くことにしました。これまでの旅行を通じ、列車の旅で東北でも行けると思えるようになったのも大きいですが。

合唱が趣味の一つなのですが、ちょうど2019年の3月に、震災をモチーフにした曲を演奏する機会があり、東北には行っておきたいという気持ちが強くなりました。春休みのタイミングを逃すまいと、青春18きっぷをメインに、初めての東北に出掛けることにしたのです…

何に乗って、どこへ行ったか

● 主なJR路線:東海道本線、常磐線、水郡線、磐越西線、東北本線、
       八戸線、大船渡線、東北新幹線
● 主な私鉄路線:三陸鉄道
● 主に行った場所:鶴ヶ城、会津武家屋敷、飯盛山、陸奥湊朝市、瑞鳳殿、
         仙台市博物館、仙台城址
● バランス:[観光] ・・・★・ [鉄道]

◆Day 1◆ 常磐線から水郡線へ

関西からは、まず東北に行くまでが遠い!飛行機は特に使う気がないので、東京まで出てから北に上がるのが一番楽な選択肢だったかと思います。

ただ、東京まで出るにも新幹線代が馬鹿にならんので、豊橋までは在来線で粘ることにしていました。米原での乗り換えは短時間かつ陸橋を渡る必要があり、大混雑で危うく乗り遅れそうに。大垣までの車内では立つ場所もないほどです。青春18きっぷシーズンあるある。

さあ大垣で豊橋へ…のはずが、ここで早速悪い知らせが。東海道線で事故が発生し、大垣から乗る予定だった新快速が取りやめになってしまいました!どうもこうも仕方ないので次の列車を待ち、名古屋から新幹線を使うことに急遽変更。名古屋駅の窓口も大混雑でヒヤヒヤでしたね。

今はエクスプレス予約でサクッと変更できますが、当時は人生最後(?)の学割を使っていましたので、窓口に並ばざるを得ません。なお、JR西日本の「みどりの券売機プラス」であれば券売機で学割きっぷを買えるようです。

さてなんやかんやで無事に東京駅に到着し、上野駅へ向かいます。東京駅を目的地とせずに、乗り換えですぐに去っていくのは新鮮でした。

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上野からは常磐線に乗って水戸へ向かいます。茨城県内に入ってからは特急との連絡待ちなどがあって、そこそこ時間がかかるなーという印象でした。天気のいい昼下がり、広い田園風景を眺めながらボーっとしていると、つい眠たくなります。

水戸で乗り換えて水郡線に乗りました。まだこの頃は、JRのローカル路線に全く縁がなくほとんど知らなかったので、ルートを調べているときに現れた「水郡線」というレアそうな名前だけに惹かれて乗ることにしました。

ちなみに私は当時、JR東日本の路線図を見つつ、これ乗ってここ通って行くか…みたいにルートを考えていました。初の東北で降りる場所は郡山かなと決めて、どう行くかを考えていたところで見つけた、という感じです。

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常陸大子までは学校帰りの学生さんが多くて座れませんでしたが、そういう時はもちろん前面展望です。山あいの少し開けた場所を走っている、という印象で、ずっと山!みたいな感じではありませんでしたね。

道中ですっかり暗くなってしまいました。最後の方は車窓もほとんど楽しめなかったです。なお、水郡線の上菅谷駅で分岐する常陸太田支線には乗れていないので、いつか制覇しに行きたいと思います。

東北地方で初めて降り立ったのは福島県

ついに降り立ちました。縁遠い場所だからこそ、一度は来たかったのです。下の写真の駅名標を見たときの感動たるや…!

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一昔前っぽい感じが良いですね。駅舎の写真も収めてから晩御飯を食べて、磐越西線で会津若松に向かいました。磐越西線は思いのほか乗客が多かったですが、会津若松まで乗り通す人はあまりいなかったように思います。

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余談ですが、磐越西線には快速「あいづ」が設定されましたね。私みたいに郡山と会津若松の間を単純移動するだけ…みたいな方にはオススメかも?

会津若松に到着して、駅近くの温泉に入って疲れを癒しました。温泉を出て歩いていると、雷光が見えて雨が少し降ってきました。

◆Day 2◆ ハイカラさんで会津若松をぶらり

早朝から、まちなか周遊バスに乗って会津若松を観光しました。曇っていて肌寒かったですが、バスで観光地を快適に移動できました。野口英世が青年期に暮らしていたということで「野口英世青春館」などもあります。周辺はちょっとレトロな感じの街並みだった…気がします…うろ覚え…。

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まずは鶴ヶ城(会津若松城)を観に行きました。旅先でよく行くシリーズの一つ、お城です。旅先のお城では、天守閣が公開されていたら必ず登って、眺めを楽しみます。高いところが好きなんでしょうね。知らんけど。

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会津武家屋敷にも行ってみました。昔の人たち、冬場とかえげつなく寒そうなのによく暮らしてたな…と思いますね。すきま風がめちゃ入ってきそう、みたいな謎の心配をしながら見て回りました。

飯盛山にも登りました。白虎隊と言えば、この地ですね。鶴ヶ城で白虎隊についての展示も見学していたので、当時の状況を想像しながら歩きました。

バスで会津若松駅まで戻り、昨日は夜で何も見えなかった磐越西線の車窓を楽しみながら郡山へ。磐梯山は雪をかぶって綺麗に見えていました。

東北本線と東北新幹線で一気に八戸へ…?

郡山から福島、福島から仙台へと東北本線で北上していきます。道中で雪を期待しましたが、さすがに降りませんでした。もうすぐ4月でしたからね。

車内は足元の暖房がよく効いていて眠たくなりました。盛岡まで東北本線で粘り、盛岡から八戸までは東北新幹線、そして八戸から本八戸まで八戸線に乗るのがこの日の計画です。まだまだ先は長い。

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ちなみに私は昔から雪を見るとテンションが上がるタイプの人間で、いつか真冬に豪雪地帯に行くぞ…!ということも、この頃からの目標なりました。ちなみにそれは2020年の1月と12月、そして2021年1月にチャレンジしたのですが、当時の気候をそれぞれ思い出していただくとお分かりになる通り、だいぶ極端な結果になりまして…。またそれぞれの記録は後日お楽しみに。

だんだんと見える景色に建物が多くなってきて、仙台に近づいていることを実感できました。東北一の大都市に来た感動が大きかったです!もちろん、宮城県も初めてです。

さらに東北本線を北上します。塩釜辺りからは海岸沿いを走り、海に浮かぶ島々を眺めることができました。さすがは日本三景の松島です。ちなみに「塩竈市」が由緒ある表記らしいですね。荷物送る時に手書きは大変やな!などなど勝手な想像をしつつ、小牛田(こごた、読めない…)に到着です。

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乗る予定の列車がまたも運休で

さて、ここで問題発生です。小牛田で乗り換える予定だったのですが、乗る予定だった列車が強風の影響で取りやめになってしまいました!

そして悲しい事実に気が付きます。八戸線の最終列車に間に合いません…
※ちなみに仙台まで戻って新幹線に乗れば間に合ったらしいですが、当時はそんな機転もお金も持ち合わせておらず。

結局、小牛田で90分ぐらい待つことになり、留置してあった貨物列車などの写真を撮って気分を紛らわせていました。今度こそ無事にやってきた一ノ関行きに乗り、さらに乗り継いで盛岡に到着しました。もう真っ暗です。

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盛岡駅の新幹線改札階には、待合所に上から照らすストーブ(?)みたいなデカい暖房器具がありました。さすが北国やなあと思いつつ、足元がちょい冷えたのが辛かったです。

ホームでは、はやぶさとこまちの解結を見学することができます。東京から盛岡までは連結して運転し、盛岡から切り離して、はやぶさは青森方面へ、こまちは秋田方面へ向かいます。発車する時に、スッ…とスムーズに離れていくのが予想外で面白かったですね。記念に動画も撮っておきました。

で、八戸には無事に着いたものの、本八戸まではもう列車がなく、約6kmの道のりを歩く羽目になりました。ローカル線の最終がだいぶ早い時間であることを実感した瞬間です。一日の〆の運動になりました。

時間帯は22時半頃でしたが、大通り沿いながら街灯も車も少なく、さすがに心細かったです。1時間歩いてやっと宿に着いた時の安心感が半端ない。

◆Day 3◆ 八戸線で太平洋沿いを南下

八戸と言えば朝市ですね。早起きして本八戸から陸奥湊へ。学生さんが多く乗っていました。陸奥湊駅に到着し、朝市と周りの通りをぶらぶらしてから美味しい海鮮丼をいただきました。早起きした甲斐がありました!

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ですが、あまりにも早すぎたのか、乗る予定の久慈行きまでに時間がかなりありました。ここは八戸まで一旦戻り、久慈まで乗り通すことにしました。昨晩歩いたせいで八戸から本八戸までは乗れていないので、これもアリかなと。18きっぷだからこそ、気兼ねなくこういう逆戻りができます。

八戸市街地の末端にある鮫駅までは列車がそこそこあるのですが、そこから先はなかなかありません。鮫を出てからは早速海岸沿いを走るので、東側の座席に座ります。穏やかな太平洋です。窓がUVカット仕様で、ちょっと青みがかって暗くなってしまうのだけがマイナスポイント…。

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途中ほとんど誰も乗ってくることのないまま、終点の久慈に到着しました。大河ドラマ「あまちゃん」で売り出しています。

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全線開通した三陸鉄道

そしてここからは、念願の三陸鉄道です!震災のため線路があちこちで寸断されたり、旧山田線区間が廃線になるかもしれなかったりと、様々な危機を乗り越えて全線開通してから6日で訪問できたことに感激です。

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車両はまだまだ新しく、内装が明るいです。

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座席もきれいでふわふわでした。

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座るのはもちろん太平洋側です。久慈からだと進行方向左側ですね。これは何としてでも確保したかったので、一通り写真を撮ったらすぐに着席です。後の宮古での乗り換えもサッと済ませました。

三陸海岸といえばリアス式海岸ですね。乗っていてもそれを実感できます。海!トンネル!が交互にくるので、入り組んだ海岸線を走ってるんやなあ…ということがすぐに分かりますよ。複雑な地形であるだけに、見える景色の雰囲気もなかなかのものです。

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上の写真のように海が綺麗に見えるポイントもあるのですが、多くの場所で高い防潮堤が建設されています。「そういう場所」を走っているんやな、と何とも言えない気持ちになります。ニュースで連日見ていたようなところを通っているのだと実感しました。

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地図データを見たところ、まだ線路が途切れ途切れになっている区間も多くありました。つい最近整備されたように見える場所も多く、そこまで復興がなされてきたのだと感じられました。

三陸鉄道では列車の行き違いで待ち合わせのときも、撮影は大歓迎!という雰囲気で嬉しかったです。運転士さんが、降りて撮ってきてもらっても良いですよ、と声をかけてくださいました。

宮古に到着して、先へ進む列車に乗り換えです。少し時間がありましたが、海側の座席を確保したいのですぐに乗り換えました。街歩きはまたの機会に譲ることにしましょう。

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本州最東端の岩手船越駅では列車交換(行き違い)があり、またしても撮る機会ができました。連日ニュースで耳にした場所である大槌、鵜住居周辺はまだまだ整備中の土地も多かったです。海岸にはやはり防潮堤が建設されていました。この辺りも一度歩いてみたいですね。

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列車に向かって手を振る子どもやおばあちゃんの姿が印象的でした。皆さん全線開通を待ち望んでいたんですね。

列車は終点の盛(さかり)に到着します。

大船渡線BRTで気仙沼へ

BRTとはBus Rapid Transitの略で、バス高速輸送システムとも言われます。明確な定義は特にないようですが、専用道路を走行する場合が多いようで、次に乗った大船渡線BRTでは線路跡を活用しています。

下の写真では、中央の線路が三陸鉄道で、右側の道路がBRT専用道路です。かつて大船渡線に延びていたであろう線路への分岐も残っていて、ちょっと寂しい気持ちになりました。大船渡線の列車に乗ってみたかったなあ。

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盛駅ホームの下はかさ上げされたBRT専用道路になっています。ホームから見下ろして線路がありそうなところに道路がある、というのは新鮮でした。そして、降りたり渡ったりできるのも不思議な感覚でした。

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仕方のないことですが、BRTではやはり少し物足りない感じは否めません。一般的なバス車両なので、旅行客が荷物を置くスペースなどもありません。しかしそれは旅行者目線での勝手な話で、地域の足としての利便性を高めるためにBRT転換を選択された、ということを忘れないようにしたいですね。選択肢がそれしかなかった、のかもしれませんが…。

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BRT専用道路では行き違い用の?退避設備があったり、交差点では一般車が進入しないための遮断機もあったりと、独特の雰囲気が面白かったです。

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BRTは専用道路をずっと走り続けるのかな?とイメージしていたのですが、途中から一般道に出ていました。というか、何もかも流されてしまっていてどこが線路跡なのか分からない、ということもあるのでしょうか。

陸前高田では、街が丸ごと新しく造られていました。本来は新興住宅地ではない歴史のある土地なのに、そのような風景が続いていることに対して強い違和感を覚えます。もちろん、そこまで復興が進んでいる、ということでもありますけどね。

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車窓から奇跡の一本松も見ることができます。周囲はひたすら造成中です。

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徐々に日が暮れていって、気仙沼に到着する頃にはだいぶ暗くなりました。気仙沼からも大船渡線ですが、ここから一ノ関までは線路が残っている区間です。乗り換えにだいぶ時間がありましたが、周辺に飲食店を見つけられずコンビニ飯になりました。

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大船渡線の車内では、おじいちゃん同士の会話を耳にしましたが、ほぼ聞き取れませんでした。東北の方言を感じました。難しい。

一ノ関に到着し、仙台方面に乗り換えです。終電です。この日は遅れなどはなく無事に乗ることができました。そして、仙台に着いてまず感じたのは…帰ってきた感です。日付が変わる頃でも人が歩いている…!街が明るい…!今回ここまでに訪れた土地の中で、最も馴染みのある光景でしたからね。

そんなこんなで謎の安心感を覚えつつ、宿に吸い込まれていきました。

◆Day 4◆ バスで瑞鳳殿や仙台城址を巡る

最終日は仙台観光と決めていました。長めの旅行の後半ともなると、いくら楽しく過ごしていても疲れは溜まるので、ローカル線などでの移動は控えて観光をメインに据えることにしています。また、帰りはサクッと新幹線で、というのもちょっとしたコツですね。長距離の低速移動は体力のあるうちに楽しんでおきましょう。

るーぷる仙台」に乗って観光地を巡ります。一日乗車券もあるので買っておくと便利でしょう。まず伊達正宗の霊廟である瑞鳳殿に行ってみました。坂道がなかなかキツかったです!

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建物の装飾がどれも色鮮やかで驚きました。豪勢。石灯籠もたくさん並んでいて雰囲気がありました。が、石灯籠は先日(2021年2月)起こった地震で倒壊してしまったようです…。

その後もバスで仙台市博物館仙台城址を回りました。やはり博物館と城は外せませんね(?)。仙台城址は本当に跡地という感じで、伊達正宗の像がドンっと置かれているぐらいでした。

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仙台市内は全体的に、土地の高低差が激しい印象でした。そして「るーぷる仙台」はその名の通りぐるっと一周するバスなのですが、片回りルートしかなく、大崎八幡宮から仙台駅に戻る車内は大混雑となっていました。案外、一般の市内バスを利用した方が楽なのかもしれません。

昼食には「利久」にて牛タンと刺身!せっかくなので豪華にしてみました。というかこれまでのご飯が質素すぎたのもあってその反動ですね。牛タンが分厚い。麦とろ飯も美味しかったです。最後の最後に満足度爆上がりです。

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さて4日間の東北旅行もついに終わりです。はやぶさとのぞみを乗り継いで京都まで帰ってきました。4時間半で着くのですね。速い。

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東北の雰囲気を感じ取った旅行でした。被災地と言われる場所にも、通っただけではありますが実際に行って実際に見ることができて、自分の中で良い経験になりました。今回は原発事故の影響を受けた街には行けませんでしたが、こちらは2020年10月に少し歩いてみたので、また書きたいと思います。

次は、フェリーで九州に上陸した話を書きます。

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