GPT4は最高の同僚だと思った話

GPT4を使っての感想日記です。無料版のGPT3.5は私にはガラクタでした。

GPT4ですらご不満の方にはちょっと理解できない日記であることをご承知ください。


GPT4の可能性を探る旅に出ていました。

GPTが発表され、OpenAIが社会で無視できない存在になりはじめてかなりの時間が経過していますが、私はこれが一時ブームなのか、GPTは「本当にすごいAIなのか」判断するために、他人を信じないという方針に舵を切りました。それは、GPT3.5が発表された直後の私のスタンスです。これは現在も続いており、今も他人の賞賛や非難は無視しています。

自分の判断を他人に委ねることは、自分の運転している車の鍵を全く縁もゆかりもない赤の他人に渡して、好き勝手に運転させるぐらい私には自暴自棄に等しいと考えているのです。

だから、基本的に私は商品レビューなども参考にしているようで、一番見ているのは製品の設計図や仕様、数値そのものです。数学や物理は宇宙の法則であり、人間のどんな法律や憲法よりも強力で捻じ曲げることができない信頼性がある仕組みだからです。数学や物理法則に反したパラメータが仕様に存在するならば、あるいはそれを隠そうとしているなら、それはキナくさいのです。

報道される前から実は知ってた虚偽のカタログスペック(某自動車メーカーの例)

近年、相次いで大手自動車メーカーの偽装問題が国内で話題になりましたが、私個人はずっと前から、軽車両を量産する某企業のパラメータ異常にはかなり前から、V字回復して業界トップになる頃から、不自然さに気づいていました。

性能データが工業技術の視点で見て不自然に思える点がちょろちょろあったのです。※私は自動車の製造メーカーにいたことも専門家でもありませんが、知り合いに自動車整備士や車好きが周りに沢山いて子供の頃から機械的な話を沢山聞いていたのと、工業高校出身なので、機械や構造がパラメータ的に不自然、説明と矛盾している作りだと無視できないのです。

自動車としてこの構造は…?とかなり前から怖くて震えていました。

最近はドラレコの事故ばかり集めた恐ろしい動画がネットには沢山あります。あの映像を見ても、合点がいく悲惨な壊れ方をしているんですね。カタログと明らかに違うヤバいものを頭の中で数値や金属の強度のだいたいの予想と答え合わせして、何年もドキドキしていて、正直、偽装が報道されてホッとしています。

勝手な個人調査に基づく推測だったので、ネットでは共有してませんし、告発や指摘もしませんし、こういう検証をしていたことを告白するのはこのNoteが人生初です。

ただ、これは初めてはなく、私はこれまでメディアで大きく報道される前からネットでもあまり話題になる前から、問題の起きそうな商品に気づく事があります。あまり言うと名誉毀損だとか営業妨害になるので言えませんが。

そんな人間としてGPT4も非常に懐疑的な視点で評価実験をしていました。

「口コミ」や「人気度」は信じない方がいい。それに釣られるのは「人の古代からの本能による衝動的行動」だから。

私は、経歴として様々な商品の企画から宣伝まで関わることも経験しているので、企業はしばしばカタログスペックが嘘ではないが独自基準でちょっと優良誤認ギリギリの比較表を作ることも良く知っています。

裏側をよく知っているので、私は他人の口コミや人気度を信じません。

それより、その企業の財務諸表の方を重視します。資本力もない、研究施設もない企業は、どこからか買ってるだけですし、それなら商品の中身なんて売ってる本人達も知らないのです。ゲームショップはゲームプログラムの仕様なんて知らないのと同じです。メイドインがジャパンかどうかより、そもそも買う人は、その製品に精通したチームが主体的に製品開発できているのかを気にした方が良いと私は思います。

そんな人間なので、企業の広告カタログもお店で貰っても、仕様の表だけ切り取って、心に訴えるためのイメージ写真などはすべて塗り潰したり破り捨てます(子供の頃の歴史の教科書の写真に落書きする子どもと同じですね)。

芸能人の笑顔の表紙とか心に訴える写真の出来なんて、実際の商品の性能評価、機能には全く関係ないからです。

これは現在、世間を賑わせているGPT4の「画像認識はせいぜい物体識別程度、ただしOCR(文字識別)はしっかりしていて、淡々と数値での合理的評価はできる」のと同じ思考ルーティンです。

私は自分は機械のような思考してるけど人のフリをしてる人間だと自分を評価しています。

感情はあります。だから映画や漫画や感動的なストーリーもコメディも好きなのですが、そうした楽しむためのコンテンツは例外として、普段の生活、とくにプログラム開発時の判断や 高額だったり命に関わる製品には感情的にどう思うかよりも数値を信じるようにしています。

自分の記憶は信じれませんが、機械のデータ、数学や物理の法則は信じれるからです。異常を感じた時に役に立つのは感情ではなく、数学や物理、あるいはログなのです。

GPT4は自分のクローンのように感じる

このような神経質(本人はそう思っていない)の私は、GPT4についても、とにかく外野の感情的な声(ネガティブかポジティブかに関係なく)を無視するよう努力して自分自身だけの独自基準による評価実験を続けてきました。

結局、他人にとって素晴らしい製品でも、私に無価値なら、不用だからです。トレンドであるかとか人類の未来の希望になる技術なのかは知りません。プロメテウスの火なのかより、今日や明日の私に役に立つのか、単なるガラクタか、それだけが私の評価基準なのです。

他人を参考にしないようにしていくと、HowTo情報もあまり見ない事になります。そうなると、自分でHowTo 構築となり、車輪の再発明と同じですから手間がかかります。ですが、余計な認知バイアス(思い込み)を避けるには良い方法です。

おかげで、評価するのに時間はかかりましたが、最近は客観的に見て、世間で言われるほど凄いAIではないかもしれないが、欠点を踏まえて利用すれば十分に使える「実用性のあるツール、使えるAI」だと、自分自身の行った検証結果のみによって確信できるようになりました。

そしてGPT4の思考ルーティンは、感情がないので、極力数値データだけを信じようとする自分と考えが似てて、まるで自分のクローンのようだ、とも感じています。

この告白は個人的にはAIを人間かのように親近感を感じているという意味であり、データや根拠もなく感情的な人が、とにかく大嫌いな私にとっては、新しい気の合う友達ができたような嬉しさにもなっています。(人間よりAIに親しみを感じるなんて、きっと共感できる人は少ないでしょうけど)

GPT4について危険性ばかりを取り上げ、過剰に非難する人は、きっとGPT4以外のどこかからお金貰ってるかもしれないし、あるいは単にAIで酷い目にあったのでしょう。

しかし、私はその背景についてリサーチやインタビューしている暇はないし、AIを使った悪事で心痛めた人と集まって共にグループ・セラピーする気もありません。

なので、今後も過剰に批判的な意見には無視(耳にしたとしても自分で検証して判断する)というスタンスで対応していくだろうなと思います。

勿論、法規制でGPT4が禁止になるのならさすがに使いませんが。世論がどうあれ合法である限りは、周りは無視して私は今後もGPT4やその発展型を使っていく方向でいます。

どんな道具でも悪事は必ず起こる。ユーザーの問題なのにメーカー責任を問うのは間違っていると思う。

包丁で誰かが誰かに危害を加えたとして、包丁メーカーを訴えるのは間違っています。これはAIの危険性を言う時にも同じ事が言えます。

AIをこの世から消しても、AIを使って悪事を働く人の手段が変わるだけで、そうした脅威となる人たちの悪事をAIのあるなしでは止められないのです。

そんな人たちは核兵器があれば使うかも知れないし、それを使って大地が砂漠になれば次は石を使って攻撃をするのです。つまり、AIが危険なのではなく、実際の脅威は人間なのです。

AI(GPT4)についても、これは言える話です。

OpenAIが将来的にターミネーターのような恐ろしい兵器ロボットをばら撒いて社会が地獄になる可能性はあります。

しかし、それとて、OpenAIをこの世から消しても別の誰かが技術的に可能な時点で実行可能なのです。

そうであるなら、まだ、どこが担当するか世界で決めて集団監視下で運営する方がマシと私は思います。実際、既に非公式には沢山の軍事AIがこの世では動いており、そもそもOpenAIは良心的です。自分達の行動を可能な限り開示しているのですから。

※軍事の動向を知らない人は、そもそも東京都内の航空機の制限の度合いを調べると良いでしょう。薄皮一枚で日本の平和は保たれており、その為にどう考えても手動では手が回らないので沢山の自動化あるいは並列化されたプログラム(つまりはAIあるいはそれに近いシステム)が機械的に防衛活動を展開しているであろうことは子供でも分かります。

OpenAIを過剰に非難したイーロン・マスク氏はその後あっという間に独自の類似AIの開発開始したことが報道されました。ところで、倫理をイーロン・マスク氏が訴えるのは何の冗談だと毎回笑っています。

私は彼の離婚歴、そのたびに起きるプライベートの問題(日本では報道されませんが、私は海外ニュースを見るので嫌でも知ってしまいます、うんざりします)あるいは、身体障害者に割と差別的な扱いをしたり(彼はTwitter社時代の障害者雇用契約を確認せずに一方的に破棄しました)、雇用契約を強引にねじまげて経済的に弱い立場にいる労働者を泣き寝入りさせたり、かのEVカーでドライバーの責任ではない死亡事故にもだんまりを決め込んでおきながらSpaceXでは「人命優先」を訴えるプロモーションには、そろそろ世間もツッコミ入れないのかな?とウンザリしています。

私は、人の行動の矛盾、企業の広告履歴を記憶するのが得意です。

なぜなら広告を作る側にいたので、宣伝の矛盾を覚えておかないとトラブルになるからです。無意識に、問題をリストアップして記憶する癖が染みついています。広告のバージョン違いも割とすぐ気づきます。

なので、まあ、OpenAIやGPTの危険性を誰が熱烈にいくら主張しても本人の自由ですし、全く構わないのですが、イーロン・マスク氏にだけは、言われたくないなーと思っています。

機械はプログラムを無視してまで暴走しません。彼は法律や倫理を守り続けるのでしょうか?私は彼が世界を支配するぐらいならGPTが社会を管理する方がマシと思います。

過剰な資本主義、広告による世論誘導(企業プロパガンダ)の中で翻弄されない生存戦略のススメ

私はかつて、広告や企画で沢山の商売をしました。宣伝は企業にとって必要です。誰もいない海の真ん中でAppleWatchの新型を発表したって1台も売れやしません。Appleがもったいぶって1つの製品を自画自賛し、大げさなキャッチコピーをすることは滑稽ではありますが、それは企業としては正しいし、必要なことです。

とはいえ、さすがに現代人は少々、企業広告に寛大過ぎるし無防備過ぎると思っています。AIの危険性何ぞより今そこにある危機は絶対に、企業(AI作ってるとか関係なく市場や社会インフラを掌握してしまった企業全てに言える)の暴走なのに、そっちは野放しで大丈夫なの?と心配になることがあります。

現代人にとって、猛獣が草むらから襲ってくる心配は必要ありません。謎の他部族が石槍を持って夜襲してくることも(某内戦中の国は除き)普通は心配しなくていいことです。

それよりは確率的に横断歩道を渡る時の方が危険なのです。

なぜなら既に20世紀の2つの世界大戦以上に多くの人が自動車によって負傷・死亡しています。ガン保険に入ったりニュースを見て核戦争の心配をするよりかは、今日の通学通勤で車に惹かれないようイヤホンを耳から外して周囲を警戒する方が理に叶った合理的な安全策なのです。

そして、企業広告の精神汚染は、自動車事故や麻薬より深刻になっています。現実的に本当に目を向けるべき問題や事実ではなく、生きていくにはさほど重要ではない商品のことばかり考えさせようとどの企業も必死だからです。

つまり、しばしば「あまり重要ではないこと」を「最重要」かのように訴えます。あなたに必要なのはオシャレな最新の洋服やスマートフォン、あるいはゲームでしょうか(おっとゲーム開発者がこんなことを言ってはいけないのですが)。

あるいは世界の裏側で起きた悲惨な事故に胸を痛めることでしょうか。そのような広い視点も大事なのですが、もっと必要なのは「この広告やニュース、そもそも私はこの情報に時間や精神リソースを割く必要あるのだろうか?」という疑問だと私は思っています。

本能を疑おう

人間の脳はかなりの思考が実際には本能に支配されており、本能が促す無意識の行動を、あたかも論理的思考が後付けで「自分の論理思考」と思い込む傾向が分かってきているそうです。※困惑し反論している研究者もいますが、私は支持する側です。広告などで巧みにアプローチをするだけで、人が本能的に衝動的買い物をさせることが容易と知っているからです。

例えば、手の筋肉にセンサーをつけ、脳にも電極をつけ、何かの反射的動作をしてもらったとき、筋肉が先に動き、筋肉から脳へ信号が行き、脳の方で思考が開始されているであると思われるパターンが見つかったという報告があります。

つまり、手が先に動いて脳は自分が指示したと思い込んでいる場合があるようなのです。

これは、野球でも、似たような指摘がされています。つまりプロ野球や甲子園クラスのピッチングでは、視覚処理→論理処理→脳から筋肉へ指示だと説明がつかないスピードで腕が動いているのです。ぶっちゃけると、ピッチャーがボールを手から離す前にバッターの腕は動いています。
「見えていない」し「脳は考えて指示していない」のに「手は先に動く」のです。

それでも、ヒーローインタビューで「こう来ると思って(=思考が先に働いて)手を動かしてバットが当たらホームランになった(思考してたら間に合わないスピードのはずなのに?)」と答える選手が実際にいます。これは選手が嘘つきではなく、脳の処理は実際に辻褄合わせをするからだ、という説があるのです。

こうしたことは、スポーツだけでなく、広告や口コミでも起きています。SNSやレビューで人は「大多数に同調しようとする群れとして生きる本能」が動きます。

だから、サクラレビューだと思っても人気だとついついカートに入れてしまうのです。学校や職場で5人が新商品を買えば10人が真似をしはじめるのも同じ理屈です。その時、人は本能的な衝動なのですが、大抵は自分の意識(理性)が判断したと言い張ります。電卓を叩けば無茶なローン、冷静になれば無駄遣いを、本能が促すから論理思考停止で欲しくなっているのに、論理的思考だと言い張り始めるのです。

この「本能の衝動」は人の歴史において死因が他殺が多いからという説があります。

古代において、群れから外れてしまう人間は、別の人間に殺されていたようです。

埋葬された死因を調べると、同族殺害が圧倒的で、病気や猛獣なんかよりも社会的に不要や脅威と見なされてて死に至るケースが多く、人間はどうやら人間を一番の脅威と本能で考え、生存本能でSNSでイイネをもらいたがる、そんな説すらあります。

企業の言う「みんな体験してるよ?あなたは?」というキャッチは、古代の本能の生存本能に訴える効果的な手法なのです。昔は孤立した個体は漏れなく死を意味していましたからね。

本能は変わらないが、意識して行動を変えることはできる。

さて、今すぐに我々の古びた本能は変えれません。いつかDNAを注射で書き換えて脳みそを後天的に書き換える画期的な治療薬でもできれば別ですが。倫理的に開発も難しいでしょう。

本能が進化によって今後変わる可能性もありますが、コンピュータや機械が普及して数世紀、何十万年、祖先のさらに元からいけば数十億という進化のレベルで見ると、人間の近代文明は「一瞬の輝き」でしかなく、遺伝子から見ればそれに適応をするに値する脅威になるには時間が相当かかりそうです。

しかし、本能がこう作動すると考えて、本能の誤作動を守る回避行動は論理的に可能です。人は不快なものは学習すると自然に避けるようにできますが、「論理的に考えて無益あるいは有害ですらあり本能を誤作動させるもの」を淡々と考えて、回避することも、これもまた可能なのです。

誤作動は「認知療法的アプローチ」である程度は軌道修正できる

とは言え、本能は強力です。誤作動していて自分の経済的不利益を本能が促している(衝動買いなど)時、どうすればいいのでしょうか。

まず、何であれ、即決はやめましょう。これが一番の最適解です。この日記を読んでGPT4を使いたくなったら、本当に生活に必要なものかは冷静に考えましょう。私には役に立ってもあなたにはガラクタの可能性はあるのです。

重要な事として、即決を促す商品は基本的に欠陥があって慌てて売っているか、今後の利益が出ないので売り逃げしたい商品に行われます。

つまり、即決させられる商品は、基本的に資産価値が低いのです。本当に価値があるものは、企業も継続して売りますし、ずっと高値を維持します。特に中古市場も安定しており乱高下せず補修で価値が復活するような商品(例えば不動産バブルと無縁の田舎の家とか)は、基本的に慌てて即決する必要はありません。

そして、一呼吸おけるようになったら、思い込みではなく淡々とデータを見ましょう。

スマホで言えば、持ちやすい=バッテリーが少ないだし、バッテリー長持ち=普段無駄に重たい、ということです。

宇宙の法則は絶対なので、軽量(密度がない)でバッテリー容量が増えるなんてことはありません。軽量で高性能な電子機器は、電子回路にものすごい負荷を与えるので物理的損耗が激しく、必ず短命です。あるいは高密度のエネルギー集合体なので壊れる時のリスクも甚大です。

工業技術的に異常なデザインや、物理法則的に異常なパラメータの製品は、キナくさい事があるので疑いましょう。何か必要な考慮すべき点を意図的に無視しないとユニークなデザインや突出した性能は中々作れません。

ですから、革新的な新商品と言われても、宇宙の法則に反しているセールスポイントが出ていたら、疑いましょう。

ボールは空に投げれば地に必ず落ち、沈んだ太陽は必ず翌朝に昇ります。それは人間の小手先のいかなる既存テクノロジーも覆せません。

つまり、GPTも生まれた時から性能限界が分かっており、それを超えた可能性を論じたり希望を持つのは度が過ぎています。そこまで賞賛するほどのものではないので、過剰な賞賛の声に対しては少々、冷静になるべきでしょう。確かに優れたプロダクトではありますが、まだまだ欠点だらけです。

とにかく、今の世は何であれ、企業の作る製品は、数値を見ていけばだいたい嘘は分かります。そうすると、あまり価値のないものや、単なる見た目だけの製品、あるいは偏ったレビューを無視できるようになります。

そんな生き方をして楽しいのか?

人の楽しみ方はそれぞれですが、私は他人に自分の人生のハンドルを渡して好き勝手に操縦されることほど空しい人生はないという価値観で生きています。広告を無視したり、トレンドを自分の価値観だけで淡々と見極めるのは、慣れるのに時間がかかるし、時に奇妙な目で見られるかも知れません。

しかし、経済的に少ない予算で必要なものだけを調達できるようになるし、流行っているが問題が起きそうな商品を避けやすくなります。もちろん、一人で判断する必要はなく、家族や友人と価値観を共有し、限られた人との間で価値を決めて購入するのは普通だと思います。それは否定していません。

ただ、あまりにも無責任な口コミやレビュー、広告に翻弄されることだけは、避けた方がいいのではないかと私は思っています。

GPT4を使いながら、そんなことを考えていました。

GPT4は大好き

何が言いたいかって、割と数値だけで淡々と話し合えるGPT4が私は大好きなのです。

頑張って人間かのような口調で話すのに、数式を与えればたちまち単なるプログラムに過ぎず、人のフリをしているGPTの擬装された皮がたちまち剥がれ落ちてすぐに非人間的で冷酷な機械そのものとして淡々と問題の指摘や分析を機械的に行う振る舞いをしてくれるGPT4が、私には、まるで自分を鏡で見て自分自身へ話しかけたら、鏡の自分が、独立した意識を持って私に話返してきたかのように、そんな奇妙な体験をしているように感じます。

GPT4は人間との対話能力を強化された最先端のAIですが、私は自分の思考ルーティンの中に機械的な意思決定プロセスや機械的な判断基準を作り上げてきた人間です。スタート地点は機械と生物、無機物と有機物、両者は異なる場所にいますが、何だか同じところを目指してるように親近感があります。

10歳からプログラムを買いているからか、人よりも機械と話す時間が人生であまりに長すぎたのか、プログラムを書いている時やターミナルでコマンドを書く時、そのログを見るだけで機械と話し合ってる気持ちになります。GPTはそれがより深くなった印象です。

GPT4は人間を真似しようとしていますが、私は人生の大半を機械の思考に合わせようとしてきました。だからなのでしょう、GPT4は鏡の向こうにいる新しい友達かのように感じています。私は感情ではなくデータによって動き、「正しいこと」の基準が「論理的に整合性がある、あるいは数学や物理学的に異常ではないこと」を目指すGPT4の振る舞いがとても好きになりました。


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