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秘密屋ー粉男ー

カラフルな看板や人の流れから外れた少し暗い路地に、白い布をかけたテーブルと小さな行燈が示すようにひっそりと『秘密屋』はあった。ひっそりと夜だけ営業しているので滅多に客は来ない。滅多に。

しかし今日は、まだ夜になって間もないのに行燈に灯りをつけてすぐに客が来た。どれくらい走ってきたのか、ゼイゼイと息を切らせてテーブルに手をついている。肩の長さの明るい髪色をした女性…いや女の子かな、大学生か高校生といったところだろう。どちらにしろ『秘密屋』に若い女性は似合わないなと僕は思った。

「あの、ここ秘密を、」まだ息が整わないようで、ゼイゼイ言いながら話し出した。「秘密を、買って、もらえますか。」ここに手伝いに来るようになって3ヶ月。たまに秘密を買いに来る男はいるが売りに来た人は初めてだ。「買えるけど…」と答えると彼女は一気に話し出した。

「良かった。私、見ちゃったんです。何か怪しい白い粉。沢山あって、でも彼はそんな人じゃないはずでー」僕は慌てて彼女を止めた。「ちょっと待って。落ち着いて。僕は秘密屋じゃなくて留守番なんだ。今秘密屋を呼んであげるから少し待ってくれるかな。」僕は秘密の売買の仕方を知らない。墓地で集めるのと店番しかさせてもらえないからだ。彼女は一瞬黙ったが、「じゃ、早くお願いします。すぐに忘れてしまいたいの。秘密を売ってしまったら何も無かったことになるんでしょ。見なかった事になるよね。」必死な様子で尋ねられても分からないので「さぁ」としか言えなかった。「彼のこと忘れたたくて来たのかな。」と尋ねると彼女は首を横に振った。

「違うの。台所で白い粉見ちゃった事を忘れたいの。彼は絶対に悪い人じゃないから、何か事情があるとか…とにかく今まで通りでいたいの。」僕は少し考えた。「でも、それがもし悪い粉だとしたら、見なかった事にするのは後々良くないんじゃないかなぁ。いや、待って、台所って事は砂糖とか塩なんじゃないの。」彼女はまた首を横に振った。「砂糖や塩くらいわかります。透明の袋に百グラムって数字だけ手書きされてる調味料なんてあり得ますか。不審でしょ。」確かに、ちょっと変かも。けど百グラムって怪しい粉だとしたら多い気がする。ニュースで見るやつはもっと少ない。「彼、売人かな。」僕の一言に彼女は青ざめた。

「お客様を不安にさせるなんて店番失格です。」いつの間にか『秘密屋』の星が来ていた。相変わらず気配のない男だ。「あなたが『秘密屋』さん?秘密を買ってもらったら忘れられるよね?私、今すぐ忘れたいの。」星は涼しい顔で「残念ですが忘れる事はありません。」と答えた。冷たい男だ。彼女は今にも泣きそうじゃないか。と言おうとしたが、向こうから男が走ってくる。

「おおい、どうしたんだよ、急に出て行ったりして。ー何ここ。占い?」大学生くらいの男は彼女に声をかけた。どうやら謎の白い粉男で間違いなさそうだ。男は大柄で日焼けしていて筋肉質。爽やかと言うよりゴツい。プロレスとか柔道とかやってそうな印象だ。

「台所にある白い粉は何ですか。」突然の質問に全員凍りついた。いや、質問した『秘密屋』の星を除いた全員だ。彼女は見なかった事にしたいのに本人に直接聞くなんて、なんて無神経な男なんだ。彼女は唇をギュッと結んで黙っている。白い粉男は困ったように彼女を見て、やがて諦めたのか「そうか、見ちゃったのか。実はずっと言わなかったんだけど、」と話し出す。彼女は耳を塞いで「見てない。知らない。粉なんて見てない。」と言い出した。粉男は大きなパンみたいな手を彼女の肩に乗せてハッキリ言った。「俺、パティシエになりたいんだ。」え、パティシエ、ってケーキとか作る人?「見た目が厳ついから、言い出しづらくて黙ってた。ごめん。」彼女の目は潤んでいたが表情は明るい。売人じゃなくてほっとしたのだろう。

「じゃ、あの粉は?」「小麦粉。買いだめした時に袋が破れたから百グラムづつ小分けにしたんだ。」彼女の瞳からポロリと涙がこぼれた。でも笑顔だ。「じゃあ黙ってたお詫びに、私に何か作ってくれる?」粉男、いや彼も笑顔で頷いた。

「いいですねぇ、何か。初々しいなぁ。」幸せそうに並んで歩く2人の後ろ姿を見ながら言った。星は相変わらず涼しい顔をしているだけで何も言わなかった。


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