話を聞いて

もう無理だ。私はかなり頑張ったと思う。でももうこれ以上は耐えられないし、これ以上耐えたなら間違いなく病気になってしまう。もしかすると、もうすでに病気なのかも知れない。いったい１日に何回死にたいと思ったら病気なのだろう。と考えた時点でおかしかった。元気で普通に暮らせていれば一度も思わないはずだ。とにかく、これ以上一人で頑張っていてはいけない気がする。せめて誰かに悩みを聞いてもらいたいし、その必要がある。

問題は、誰に聞いてもらうか、だ。

古くからの友人に電話してみた。当たり障りのない会話をして「いま、元気？」と何気なく聞くと「実は…」と向こうから話し始めた。数ヶ月前に追突事故に遭い療養中なのだそうだ。「まぁ、一応元気だけど。そっちはどう？」と聞かれて「うん、元気だよ。」と答えてしまった。大きな事故にあって大変な思いをしたのに、私の悩みなど聞かせられない。

ママ友は…。『友』と言うより子育ての『同志』と言うべき間柄で、プライベートな悩みなどとても打ち明けられない。

やはり、ここは家族に話そう。きっと親身になってくれるはずだ。久しぶりに実家に電話すると、なんだかバタバタとしている。「叔父さんが亡くなって、今日お通夜なのよ。何か急ぎ？」いえ、今じゃない気がします。遠い親戚で私とは面識無いので来なくてもいいよ、と電話は切られた。

幸い、私には姉がいる。困っているとは言いづらいが電話してみると、なんだか鼻声だ。「風邪ひいたの？」と聞くと、ウワーッと泣き出した。義母の介護による疲れと、任せっきりの夫に対する不満が爆発したのだ。１時間半くらい話を聞く側になってしまった。「ありがとう。何だか話したらすっきりしたわ。で、何かあった？」もう私が話をする体力は残っていなかった。いいえ、何でもないです。と電話を切る。

こんな事をしている場合じゃ無いのだ。私はもう精神的に限界なのだ。と言いたい。誰か空いてる人はいないのか。他に深い話が出来そうな友人に電話してみる。ある人は親が病気で大変そうだ。ある人は自分が病気で入院中だ。誰に連絡をとっても、自分も家族も健康で気楽に暮らしている人がいなかった。悩みなんて夜ご飯の献立くらいよ、なんて呑気な人が見つからない。私の話を聞く余裕のある人がいない。

弁護士や市で行っている相談窓口があるのは知っている。悩みの内容からみても、そこに相談すべきだとも思う。しかし、なんだか敷居が高いと言うか、予約を取る勇気が出ない。死にたいとすら思っているのだから、死んだ気になって相談したらいい。と他人になら言えるが、自分は出来なかった。もうワンクッション、誰かに話したい。そうしたら死にたいなんて思わなくなるかも知れない。誰かに話す事で。

誰かに、話す事で。…もしかすると、私みたいな人は沢山いるのかも知れない。真剣に悩み、死にたいとすら思っているけど、周囲に話せない人が。

そこで私は「話を聞きます」という仕事を始めた。どんな話も聞きます。聞くだけでアドバイスなどはしません。聞いた事は誰にも話しません。

最初はポツリポツリと。だんだんと広まり、何とか生活費を稼げるようになった。そして何人もの話を聞いているうちに、彼らに共通点がある事に気付いた。

話をしに来る彼らは1人じゃないのだ。いや、正確には1人なのだけれど、背後にぼんやりとした誰かが憑いている。それが話をしているうちに、背後の誰かは居心地悪そうにしだして、そのうちスーッとどこかへ行ってしまう。すると話していた人は「何だかすっきりしました。」と明るく晴れやかな顔になる。背後の誰かはどこに行くのかと気になっていたが、何人もの話を聞いているうちに同じ顔を見つけるようにもなった。どうやら他の誰かに憑いているようだ。先日など私の顔を覚えていたのか、あからさまに嫌な顔をして舌打ちまでされた。

背後の誰かが何なのかは分からないが、不幸な出来事や深刻な悩みから死にたくなるのでは無くて、背後の誰かが憑く事で不幸を呼び寄せ悪い方に考え過ぎてしまうのかも知れない。という事は、私の背後にも誰かいたのか。

結局、私は誰にも話を聞いてもらえていない。何もかも上手くいかず、お金がなさ過ぎて情けなく、死にたくなっていたのだけれど、話を聞く仕事で食べていけるようになってからは死にたいと考えなくなった。だから今見ても背後には誰もいないだろう。と思いながらも鏡の前に立ち、背後に目を凝らした。

誰か…いる。見たことないお爺さんが微笑んでいる。つい、「いや、いるのかよ。って言うか誰だよ。」と声に出してしまった。すると、お爺さんは驚いたように目を少し大きくしたが、また微笑んで言った。

「貧乏神じゃ。ちぃっと貧乏にし過ぎてすまんのぅ。死なれちゃ困るで、生活費くらいは稼げるようにしたで。なんぞ、話したい事があるなら、わしが聞いてやろうかの。」…話したら消えてくれますか。